シャツ一筋80年の山喜が受け継いだCHOYAの技と品格とは? 老舗の歴史が「明日着たい一枚」を生むまで
1946年創業、シャツ作り一筋に歩んできた山喜。老舗メーカー「CHOYA」の技と品格を受け継ぎ、今、大人の女性が明日着たくなる新しい一枚を生み出しています。そこには、どんな歴史と技が息づいているのでしょうか。
シャツ一筋80年。一枚一枚に息づく 受け継いだ技と品格【山喜(やまき)】シャツ製造・販売
表に名前が見えなくても、一枚の品質が育てる信頼
百貨店の売り場へシャツを納品すると陳列する間もなく、箱の中から次々と商品がなくなっていった––––。山喜の社員が上司から聞いたという、バブル期のエピソードだ。当時はカラーシャツなどが流行し、シャツは男性がおしゃれを楽しむための重要なアイテムだった。今ほど仕事着の選択肢が多くなかったこともあり、その存在感は現在よりずっと大きかったという。
山喜が大阪でシャツの製造販売を始めたのは、終戦翌年の1946年3月。戦地から戻った創業者・宮本雅史が、シャツ製造の下請けをしていた人物と出会ったことが始まりだった。その後、新素材やカジュアルシャツにも取り組み、国内外に生産拠点を広げてきた。自社ブランドだけでなく、さまざまなブランドのシャツも製造しており、「山喜」という社名を知らなくても、手持ちのシャツのタグを確かめてみたら、実は山喜が手がけたものだったということも少なくないはずだ。
表に名前が見えなくても、一枚の品質が会社の信頼をつくる。そんな山喜が創業以来、大切にしてきた言葉がある。「品質は無言の優れたセールスマン」––––。創業者の品質への思いを表す言葉で、今も本社や工場に掲げられている。
シャツは、生地のよさや縫製だけで品質が決まるわけではない。生地に汚れやしわがないか、細部まで確認する。海外工場にも自社の社員を派遣し、品質管理が行き届く体制を整備。取引先のバイヤーから「品質が安定している」と評価されることも多い。一枚のシャツそのものが品質を語る。その考え方が、80年にわたるものづくりの土台になっている。
山喜に大きな転機が訪れたのは、2015年。1886年創業の老舗シャツメーカー「CHOYA」から、事業の一部を譲り受けた。「蝶矢シャツ」で知られるCHOYAは、百貨店での販売を中心に戦前から知られたシャツブランドで、過去には三島由紀夫、吉川英治、井上靖らが好きなシャツとしてその名を挙げている。今も「昔、CHOYAでよくシャツを作った」と懐かしむ人がいるという。山喜が受け継いだのは、商品や技術だけではなく、そうした人々の思い出と信頼でもあった。
東京と大阪の老舗シャツメーカー。同じシャツを作る会社同士でも、ものづくりの方法は同じではなかった。型紙の作り方、縫い代の取り方、襟を仕立てる工程。それぞれが培ってきた技術や考え方を確かめながら、一つずつすり合わせていった。
CHOYAには「古きを知り、常に新しく、どこよりもよい品を」という社是があった。歴史を誇るだけでなく、よいものを残しながら、新しいものもとり入れていく。その姿勢も、山喜はブランドとともに受け継いだ。
三島由紀夫、吉川英治ら文豪も愛した蝶矢シャツ
街を彩った「蝶矢」印。趣向を凝らした往時の宣伝風景
