【猫の実話】にほっこり。普段そっけなく見えても、猫は大切にしてくれた人のことを忘れない
「猫がいてくれるから」がんばれる。救われた。毎日が楽しい…… そんな猫たちとの暮らし、出会いや別れなどの実話を集めた本が話題です。その中から、エピソードをひとつ紹介しましょう。子猫の世話を通じて成長した青年と、今でもそのことを特別に感じている猫の話です。
息子を暗闇から連れ出した覚馬
「猫は3年の恩を3日で忘れる」
こんなことわざがあります。猫のつれなさを表現しているようです。
もともと猫は野生時代、単体で生きてきた動物。狩りがうまいので、犬と違って群れで生活する必要がなく、自分ひとりだけで生きることができました。生き物として、完成された動物だといわれています。
また1匹で生きてきたからこそ、失敗はすぐに忘れます。ひとりでグジグジ落ち込んでいたら、命の危険にさらされかねませんから。
だから、現在の飼い猫もマイペースで、自由気まま。気分の切り替えが早いのが特徴です。
気が向かなければやらない、急にぷいっと去ってしまう......。
そんなところが、猫がつれなく見える理由かもしれません。
でも、飼い主さんからすれば、猫はつれないという点には賛成しても、「恩を3日で忘れる」というのはウソ、と反論したくなりますよね。
そう、猫だって自分を愛して、大切にしてくれた人のことは忘れません。普段そっけなく見えても、飼い主さんのことは大事に思っているんです。
子猫の世話を通じて自分を取り戻した青年と、見守った家族。
そして、弱々しかった自分を一生懸命世話してくれた青年を、成長した今でも特別に思う猫のお話を紹介しましょう。
名前 覚馬(かくま)
年齢 7歳
性別 オス
種類 ミックス(白黒のハチワレ)
性格 ・好奇心旺盛 ・人は好きだけどベタベタされるのは苦手
特技 家族にいばること
好きなもの ・猫じゃらしのおもちゃ ・お父さんを物陰からおどかすこと
落ち葉に埋もれていた子猫
そのころの私たちは、暗いトンネルの中にいるようでした。
次男はいわゆる進学校に通っていました。けれど、しだいに成績が下がり、学校に行く回数も減っていきました。3年生のときの担任の先生のご尽力で卒業はできたものの、大学受験は失敗。
このころになると、本人もすっかり無気力になっていて「自分はダメな奴なんだ」と布団をかぶったまま、動けない日が続いていました。
私も夫も、次男に対して腫れ物を扱うように接していたと思います。
本人も、内心では「これではダメだ」と思っていたのでしょう。
しばらくして、私が見つけてきた塾に通い始めました。個人経営の塾で、学校を中退した子など、ちょっとワケありの子を受け入れているところでした。
やりたいこともないし、暇つぶしになるならいいか。
たぶん、本人はそんな気持ちだったのだと思います。外に出る気持ちになってくれたのはありがたいことでしたが、このままでいいのかという不安はつきまとっていました。
しばらくたって、ふと気がつくと、次男は意外に熱心に塾に通うようになっていました。
なにげなく理由を聞けば、意外な答えが。
「塾のななめ向かいの家に猫がいてさ。すごくかわいいんだ」
そういえば次男は昔から猫に興味があり、家で飼いたがっていました。
ただ、夫はあまり猫が好きではないし、私もフルタイムで働いています。そのため、うちで飼うのはちょっと無理だね〜と、なんとなくスルーしたままになっていました。
「本当にすっごくかわいいんだ。お母さんも見てきなよ」
その猫は窓辺によくいるそう。行ったからといって見られるとは限りませんが、次男のせっかくのすすめをむげに断るわけにもいかず、私は自転車を走らせました。
目的の家の前に到着するも、次男から聞いた窓際に猫はおらず......。
「行ったけどいなかったよ」と言えばいいか。
そう考えて、自転車の向きを変えました。スーパーで買い物をしてから帰ろうと思ったのです。
走り出した瞬間、排水溝に溜まっていた落ち葉がモゾッと動いた気がしました。
え、なんで落ち葉が動くの
普段の私なら、ちょっと気になっても、わざわざ戻って見たりしなかったでしょう。でもその日の私は、なぜか素通りできませんでした。自転車を止めて戻り、濡れた落ち葉をかき分けました。
出てきたのは、手のひらの上にのるほどの小さな小さな子猫でした。
濡れた落ち葉に埋もれていた子猫は体が冷たくなって、小刻みに震えていました。片目は目やにで閉じていて、もう片方の目は白くなっています。
このままでは死んでしまうかも。
私は子猫を抱えて、近くにあった動物病院に駆け込みました。獣医さんがとても親切で、子猫の診察のあと、目薬といっしょに、子猫用の離乳食なども分けてくれたのです。
「これも何かの縁だから、ぜひ飼ってあげて」という言葉とともに。
帰宅途中、私は子猫に「覚馬」と名づけました。
以前、片目の猫を拾った友人が、大河ドラマの隻眼の登場人物にちなんで名前をつけて いたことを思い出したのです。私もそれにならい、当時放送していた大河ドラマ『八重の桜』の登場人物、山本覚馬から名前をもらいました。山本覚馬は主人公・八重の兄で、途 中失明してしまいますが、へこたれずに幕末〜明治の激動を生きた人物です。
もしこのまま子猫の目が見えなかったとしても、「覚馬」という名前があればきっと強く生きていける。そう思っての命名でした。
自宅に連れ帰った子猫を見て、次男はとても喜びました。「目が見えないかもしれない から〝覚馬〟と名づけたよ」と伝えると、「それがいい、それがいい」とはしゃぎました。 久しぶりに明るい顔を見せた次男に、猫が苦手の夫も何も言えません。 とはいえ、共働きの我が家で、どうやって覚馬のお世話をしようか。 頭を悩ませる私に、次男がきっぱりと言いました。
「僕が世話をするから」
皆さんもご存じのとおり、子猫の世話は大変です。
午前中に塾に行き、お昼ごろにいったん帰宅して覚馬のミルク、トイレの世話。午後また塾に行って、夕方に帰ってきたらミルク、トイレの世話と、次男は忙しく動きました。
体温調節や、危険なものがそばにないかの確認。ごはんをきちんと食べているかのチェック。さらに、日増しに元気になる覚馬の遊び相手まで。次男はよくがんばっていたと思います。
獣医さんの指示どおり、目薬も毎日さしていました。その甲斐あってか、1カ月ほどたつと、失明も覚悟していた覚馬の両目はきれいに開きました。
そのころ、次男がぽつりと言ったんです。
「お母さん、僕もこうやって大きくなったのかなぁ?」
毎日毎日、たくさんの時間を覚馬に費やした次男は、〝ひとつの命を育てる〟というこ とについて思うところがあったようです。
私はひと言、答えました。「そうだよ」
「ふ〜ん......」次男から返ってきたのもひと言でした。
このとき次男の胸にどんな想いがあったのか、私にはわかりません。でも、この会話があってから、次男は明らかに変わりました。
「僕ももう一度、がんばってみようかな」
そう言い出して、覚馬の世話を続けながら、勉強にも力を入れ始めたんです。
そうして1年後。次男は見事に大学に受かりました。