「杉山清貴&オメガトライブ」結成から、シティポップの旗手となるまでの道のりとは? 杉山清貴さんが語る
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佐藤ゆかり
オメガトライブというプロジェクトが完成
1983年、きゅうてぃぱんちょすはメンバーをそのままに杉山清貴&オメガトライブとしてメジャーデビューを果たす。
「きゅうてぃぱんちょす時代は自分たちで歌を作っていましたが、オメガトライブは作曲家の林哲司さんなどが作った楽曲を歌うことになりました。僕たちは自作にこだわっていなかったし、むしろ『誰かが加わることで、もっといい音楽ができるなら』という感じでしたね」
だから、だろう。杉山さんはオメガトライブをプロジェクトと評する。
「メンバーこそきゅうてぃぱんちょすのままですが、オメガトライブはプロデューサーや作詞家・作曲家が制作に加わったプロジェクトだったし、僕たちも自分たちのバンドだけどどこか俯瞰的に見ていた気がします」
そしてプロが集まることによって生み出された新鮮で完成度の高いシティポップが若者の心をつかむ。夏や海をイメージさせる彼らのアルバムはドライブなどのBGMにもなった。
なかでも杉山さんはデビュー曲「SUMMER SUSPICION」が収録された最初のアルバムが印象深いという。
「どのアルバムも好きですが、特に1枚目の『AQUA CITY』が心に残っています。当時はまだオメガトライブというプロジェクトの方向性が見えておらず、第1作となるこのアルバムは林哲司さんが『どういうバンドがよくわからないけれど、こういう曲が合うんじゃないか』と手探りで作ったもの。僕たちもアマチュア気分のままで曲を書いて演奏しており、その初々しさが好きで(笑)。
音楽としてのクオリティは後にいくほどいいと思いますが、作品としての出来映えとは別に1枚目がいちばん記憶に残っています」
※次回は「絶頂期での解散、そして再集結」です。
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