【虎に翼】滝行もスルメもリアルだった!「家庭裁判所の父」と呼ばれた多岐川幸四郎(滝藤賢一)のモデルとされる宇田川潤四郎の半生とは
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鷹橋 忍
妻の死
宇田川は満州から帰国した翌月の昭和21年(1946)9月、大阪地方裁判所の裁判官に復職し、刑事裁判に従事することとなりました。
妻子も宇田川と共に大阪に居を移しましたが、同年10月28日、妻の千代子が、腸チフスにより36歳で病死してしまいます。
苦楽を共にした妻の死に、宇田川は大変なショックを受けたといいます。
同年12月、宇田川は京都少年審判所の所長への転任を命じられました。このときの少年審判所は裁判所ではなく、少年事件の審判や保護を司る行政機関でした。
ドラマでも描かれたように、当時、街には戦争孤児などの浮浪児が溢れていました。その中には、生きるために窃盗などの犯罪を繰り返した子も多く、しかも、彼らを収容する施設もまったく足りていませんでした。
少年審判所長に着任した宇田川は、妻を失った悲しみを埋めるかのように、こうした子どもたちの救済のための活動に、人生を捧げていきます。
ドラマで、寅子の弟・三山凌輝さんが演じる猪爪直明が大学の仲間と行なっている、BBS運動(Big Brothers and Sisters Movement)も、その一つです。
BBS運動
BBS運動とは、様々な問題を抱える子どもたちに、兄や姉のような存在として遊び、相談に乗る、アメリカ発祥の青年ボランティア活動です。
宇田川の随筆集『家裁の窓から』によれば、宇田川は満州から帰国した直後に、神田の古本屋で僅かな引揚げ資金のなかから購入した『米国の少年裁判所』という本で、BBS運動を知り、これが日本の少年問題を解決する鍵になると確信しました。
このBBS運動を日本で最初に始めたのは、宇田川だといわれています(神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』)。
さらに宇田川は、京都の宇治市に自力で広大な敷地を確保し、昭和22年(1947)、宇治少年院を開設しました。
なお、この年の10月11日には、岩田剛典さんが演じた花岡悟のモデルといわれる山口良忠判事が、配給以外の食糧を拒み、栄養失調に伴う肺結核により、33歳で亡くなっています。