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【虎に翼】滝行もスルメもリアルだった!「家庭裁判所の父」と呼ばれた多岐川幸四郎(滝藤賢一)のモデルとされる宇田川潤四郎の半生とは

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鷹橋 忍

本当にスルメを焼き、居眠りをしていた?

宇田川の活躍は、東京にも届いていました。
昭和24年(1949)1月1日、全国に家庭裁判所が創設され、最高裁判所の事務総局に「家庭局」が新設されるにあたり、宇田川は家庭局長に抜擢されています。

このときの家庭局には、猪爪寅子のモデルである三淵嘉子(当時は和田姓)も、局付の事務官として、名を連ねていました。
宇田川はここでもリーダーシップを発揮し、家庭裁判所の発展に邁進していきます。
家庭局は自由な空気に満ちあふれ、上下の区別なく活発な議論が繰り広げられました。

ですが、宇田川は苦手な法律論の話題になると、会議中でも居眠りすることが多かったようです。

また家庭局では、七輪で干物を焼いたり、夜にはスルメやコロッケを肴に、お酒を嗜んだりすることもあったといいます(以上、清永聡『家庭裁判所物語』)。

宇田川は昭和32年(1957)まで、8年にもわたり、家庭局長を務めました。在籍の間に、現在にも受け継がれる、数々の制度が作られました。

その後、昭和44年(1969)に東京家庭裁判所の所長に就任し、ここで再び三淵嘉子と共に働くこととなります。

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