中森明菜さんデビュー3年目。「十戒」でツッパリを極める。「こういう曲は私にしか歌えない」
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濱口英樹
1982年のデビュー以来、ナンバーワンヒットを連発し、時代を象徴するスターとなった中森明菜さん。その過程を音楽面から検証した書籍『オマージュ〈賛歌〉to 中森明菜』が出版されるなど、令和の今も存在感を発揮し続けています。初期3年間の楽曲制作にまつわるエピソードを収めた同書に基づく本コラム、最終回は明菜さんがアイドルからトップアーティストへと成長した1984年のヒットシングルをご紹介します。
(写真提供:ワーナーミュージック・ジャパン)
「北ウイング」で世界に羽ばたく
デビュー3年目を迎えた1984年の元日。明菜さんにとって7作目のシングル「北ウイング」がリリースされました。作詞は康珍化さん、作曲と編曲は林哲司さん。お二人は当時「悲しい色やね」(上田正樹)、「SUMMER SUSPICION」(杉山清貴&オメガトライブ)、「悲しみがとまらない」(杏里)などのヒット作を量産していたゴールデンコンビです。
前年から「新しい明菜像」を模索していた初代ディレクターの島田雄三氏は、まず林さんにそれまでの二面性路線の中間を行く楽曲を依頼。その要請に応えたメロディに康さんが2人乗りのバイクで走る男女を描いた詞を乗せます。「えっ、飛行機じゃないの?」。そう驚かれる方が多いと思いますが、最初の詞は違ったのです。
それが現在の詞に変わったのは林さんのアレンジがきっかけでした。ストリングスが駆け上がるサウンドを聴いた島田氏は空港から飛び立つ旅客機を連想。ディレクターから詞の変更を依頼された康さんは彼が住む霧の街に向かって旅立つ女性の歌に作り変えます。タイトルは当初「夜間飛行(ミッドナイトフライト)」でしたが、明菜さんの提案もあって「北ウイング」に改題。島田氏は「世界に羽ばたく明菜」を新しいコンセプトに設定します。二面性から多面性へとシフトする第2期が幕を開けた瞬間でした。
自分の意思で彼のもとへ向かう自立した女性を描いた「北ウイング」は、スケール感のあるドラマティックな楽曲として大ヒットを記録。サビの最後で聴かせるロングトーンは“明菜ビブラート”として定着します。
次のシングル「サザン・ウインド」(1984年4月)は「世界に羽ばたく明菜」の第2弾。リゾート地でアバンチュールを楽しむヒロインもそれまでの歌にないキャラクターでした。作詞は映像的な詞が持ち味の来生えつこさん、作曲は安全地帯のフロントマンとしてブレイク中だった玉置浩二さん。編曲は明菜プロジェクト初参加の瀬尾一三さんが担当し、洋楽のエッセンスを採り入れた清新なポップスが誕生します。
ボーカル録りは世界的なリゾート地として知られる、バハマの首都・ナッソーで行われました。過密スケジュールに追われる日本を離れてのレコーディング。現地での明菜さんは大はしゃぎだったそうです。この曲の歌声が明るく弾んで聴こえるのは曲調に加えて、現地の気候や解放感が影響していると言えそうです。