一度は行ってみたいお城【シェーンブルン宮殿】女帝マリア・テレジアが初恋の夫と過ごす。当時は珍しい恋愛結婚だった
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鷹橋 忍
おとぎ話に出てくるような、世界の美しいお城。みなさんが一度は訪れてみたいお城はどこでしょう。ラブロマンスが背景に伝わるお城を、洋の東西とわず歴史が大好きという鷹橋 忍さんにひも解いていただきましょう。第1回はオーストリア ウィーンのシェーンブルン宮殿です。
新型コロナウィルス流行により、長い間、渡航が制限されていましたが、ようやく海外旅行が楽しめるようになりました。
久しぶりに、異国を旅してみたくなった方も多いのではないでしょうか。
そこで月1回、世界のお城をご紹介したいと思います。
第1回は、事実上の「女帝」であったハプスブルク家のマリア・テレジア(1717~1780 在位1740~1780)が、初恋の夫と過ごしたオーストリアのシェーンブルン宮殿を取り上げたいと思います。
名の由来は、皇帝が発見した「美しい泉」?
シェーンブルン宮殿は、オーストリアの首都ウィーンの中心部から南西約5キロの位置にあります。
かつて、この地はハプスブルク家の狩猟の場でした。
狩りのためにこの地を訪れた皇帝が、清水が湧き出る美しい泉を発見し、この一帯を、「シェーン(ドイツ語で「美しい」)ブルン(ドイツ語で「泉」)と名付けたという伝説が残っています(小宮正安『ハプスブルク家の宮殿』)。
マリア・テレジアが改修
シェーンブルン宮殿は、マリア・テレジアの祖父である神聖ローマ皇帝レオポルド1世(1640~1705 在位1658~1705)により、ハプスブルク家の夏の離宮として、建立されました。
マリア・テレジアは、1740年10月、父である皇帝カール6世の急逝により、ハプスブルク家の家督を継ぎ、23歳で即位したのち、この離宮を居城とすることに決めました。
マリア・テレジアは離宮を、外観はバロック様式、内部はロココ様式で統一し、ピンクだった建物の壁を黄色に塗り替えるなど、現在見られるような壮麗な宮殿に改修しました。
マリア・テレジアの夫が動物園、植物園を新設
マリア・テレジアの夫であるフランツ・シュテファン(1708~1765 神聖ローマ皇帝フランツ1世 在位1745~65)も、シェーンブルン宮殿の造営に大変に乗り気で、世界各国から珍種の動物を集めた動物園や、植物園を新設しました。
このフランツは、ロートリンゲン(フランス語読みで「ロレーヌ」)という小さな公国の公子で、マリア・テレジアの初恋の相手だといわれます。
マリア・テレジアが6歳、フランツ15歳のときに二人は出会い、惹かれ合い、1736年2月に結婚しました。マリア・テレジア、19歳のときのことです。
君主の子は政略結婚が当たり前の時代において、非常に珍しい恋愛結婚でした。
夫婦仲は大変に睦まじく、16人もの子にも恵まれました。フランス王妃となるマリー・アントワネットは、マリア・テレジアの末娘です。
宮殿に夫の追悼部屋を作る
1765年8月、マリア・テレジアが48歳のとき、夫のフランツが心臓発作により急死してしまいます。
マリア・テレジアは最愛の夫の死を悼むため、宮殿本館の一角に、フランツの肖像画を中心に漆塗りの壁板で飾った部屋を作りました(小宮正安『ハプスブルク家の宮殿』)。
フランツの死後、マリア・テレジアは1780年11月、自身も63歳でこの世を去るまで、喪服を脱ぐことはなかったといいます。