【ブギウギ】負の要素の捉え方は人それぞれ。善人揃いなのがブギウギ流か
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田幸和歌子
村山家のモデルである吉本興業創業者一族との確執も実際にはかなりドロドロしたものがあったとされるが、これもなんとなく「本当はいい人」「ずっと気にしていた」的な美談仕立てになっているところも、史実をある程度知っていると、人間関係がいい話の連続で進んでどこかぬるく感じてしまうのはいたしかたないのだろうか。
ついでに言うなら、戦後活躍した女性歌手としてその存在に触れずにはいられないだろう、美空ひばりの存在や関係性の描かれ方も、この先あまり期待できない気がする。さまざまなバランスもあるのだろうとは思う。それこそ「買い物ブギ」ではないが、ややこし、ややこしだ。
スズ子を大きく動かすための存在として、りつ子(菊地凛子)というあまりにも便利で説得力の強い存在がありすぎるのだろうか。大事な局面にはだいたいりつ子が出てきて、間接的に叱咤激励し成長していく。かつては時々愛助、そしてタナケンも、その役割を担わされている。
制作陣は、人間の暗黒面をリアルに描くのが苦手なのかもしれない。しかし、それら実際に存在したさまざまなことがあったからこそ、笠置シズ子という大歌手の凄みの説得力につながる気がするのだが、そのあたりは捉え方の違い、このぐらいの善人揃いのほうが見やすい作品としてちょうどいいということなのだろうか。
「次のヒット」を求められ、自分の敵は過去の自分となったスズ子のもとにやってきた「買い物ブギ」。そのステージ初披露パフォーマンスは、もちろん期待通りの華やかで見応えあるものとして今回も送り出された。
「スイングの女王」から「ブギの女王」へ、USK時代の歌劇の世界、そしてタナケン作品に参加したことで身についた映画女優としての表現力、そして自身のルーツであり今も日常会話で使う関西弁、それら福来スズ子ワールドのようなものが数分に凝縮された、スズ子の集大成のような名曲、それが「買い物ブギ」であることが、今週の最終日数分で存分に表現されていただけに、実際にあった負の要素をもう少しだけ美談で包み隠さずに伝えてくれていたら、その輝きをさらに増したものが見られたのではないかという気もしないではいられなかった。