私らしく生きる 50代からの大人世代へ

人気記事ランキング 連載・特集

【中学・高校受験】偏差値50前後の高校から東大合格者が誕生。トップ進学校になるまでの道のりとは?

公開日

更新日

ゆうゆうtime編集部

6期生(中学1期生)の快挙

5期生まで右肩上がりで進学実績を伸ばしてきた西大和学園が一気にステップアップしたのが、1994年度卒業生である6期生のときです。

前年の183名から国公立合格者は200名の大台に乗り、207名に。そのうち、東大6名、京大17名と最難関大学2校の合格者を飛躍的に伸ばしました。東大は4名、京大は15名が現役合格者です。

この結果により、周囲の西大和学園に対する評価の流れは一変しました。奈良県内のほか、大阪、京都などの名門私立を狙う子どもたちや親御さんが、選択肢のひとつとして「西大和学園」に着目してくれるようになったのも、このころからです。

6期生は、西大和学園中学校初年度の生徒でもあります。6年間、西大和学園の生活指導、進路指導を受けた、生え抜き第1号が彼らです。手探りで始めた中高一貫教育でしたが、彼らの出した結果は、教員たちにとっても「自分たちの方針は間違っていなかった」と、たしかな自信につながりました。

中学1期生入学は1988年4月のことです。

男子のみ90名募集のところ、受験者数は532名。高校のときと同様、あえて定員数は満たさず、72名を新入生に迎え入れました。1期生の進学実績が呼び水となり、勉強の習慣づけができている、キラキラとした能力が垣間見える子たちが入ってきてくれました。

初期の高校生たちには、3年間という時間の制約があったり、根気強い復習の繰り返しが必要であったりしたため、詰め込み式の授業を余儀なくされましたが、中学1年生の彼らには6年間あります。中高一貫教育のメリットを最大限に生かせるよう、視察した灘中学校やラ・サール中学校などの教育内容で、いいものがあればどんどん取り入れながら、カリキュラムをつくっていきました。

【4回目に続きます】

※この記事は『なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進』田野瀬良太郎 著(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。

▼2回目記事はこちら▼

【中学・高校受験】突然の進学校への路線変更、職員と生徒のパニックの先にあるものとは?
監修者

学校法人西大和学園会長

田野瀬良太郎

たのせ・りょうたろう●昭和18年10月31日生まれ。奈良県五條市出身。名古屋工業大学卒。大学時代に1年間アルバイトをしながら、ロシアからヨーロッパ、中近東、東南アジアなど33か国を歴訪。これを機に政治の道を志し、昭和48年五條市議会議員初当選。その後、奈良県議会議員、衆議院議員に当選し、自治政務次官、財務副大臣、自民党文部科学部会長、自民党三役・総務会長(第48代)を務める。議員活動を始めてまもなく、教育は政治上の最重要課題であると痛感し、実践として昭和56年になかよし保育園を開園。その後、西大和学園高等学校・中学校、西大和学園カリフォルニア校、白鳳女子短期大学を設立し、平成26年4月に大和大学を開学し、学長に就任。学校法人西大和学園会長。

たのせ・りょうたろう●昭和18年10月31日生まれ。奈良県五條市出身。名古屋工業大学卒。大学時代に1年間アルバイトをしながら、ロシアからヨーロッパ、中近東、東南アジアなど33か国を歴訪。これを機に政治の道を志し、昭和48年五條市議会議員初当選。その後、奈良県議会議員、衆議院議員に当選し、自治政務次官、財務副大臣、自民党文部科学部会長、自民党三役・総務会長(第48代)を務める。議員活動を始めてまもなく、教育は政治上の最重要課題であると痛感し、実践として昭和56年になかよし保育園を開園。その後、西大和学園高等学校・中学校、西大和学園カリフォルニア校、白鳳女子短期大学を設立し、平成26年4月に大和大学を開学し、学長に就任。学校法人西大和学園会長。

なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進

田野瀬良太郎 著
主婦の友社刊 1760円

奈良県にある私立中高一貫校である西大和学園。今や、東大、京大合格者数で全国トップレベルの進学校であるが、わずか30年前までは無名私立高校だった。西大和学園はいかにして共学トップ進学校になったのか?今、西大和学園が求める次世代のエリートとは?伝統校との違いは?創設者であり、学園の会長である著者がこれまでの西大和学園の歩みのすべてを語る。

※本書は2015年刊行『田舎の無名高校から東大、京大にバンバン合格した話』に加筆、修正を加え再構成したものです。

※「詳細はこちら」よりAmazonサイトに移動します(PR)

この記事の執筆者

PICK UP 編集部ピックアップ