【中学・高校受験】突然の進学校への路線変更、職員と生徒のパニックの先にあるものとは?
奈良県にある私立中高一貫校「西大和学園」。今や、東大、京大合格者数で全国トップレベルの進学校ですが、わずか30年前までは無名私立高校でした。西大和学園はいかにして共学トップ進学校になったのか? 創設者であり、学園の会長である田野瀬良太郎さんの書籍『なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進』より一部を抜粋し、学園の歩みをご紹介します。【全4回の2回目】
▼1回目はこちら▼【中学・高校受験】関西トップレベルの進学校が、30年前には不登校、ケンカ、迷惑行為が日常茶飯事だった!?
賛成派教員たった二人からの改革スタート
(開校初年度である1986年の)夏休み直前、私は職員会議の場で進学路線への変更を伝えました。
全国の私学では、すでに生徒数の減少に大きな危機感を抱いている。奈良県も例外ではなく、国・公・私立を合わせた小学校の在籍者数は、4年前の13万3000人をピークに、1986年現在は12万人まで減っている。中学校の在籍者数は7万人でまだ増加傾向にあるが、すでに頭打ち状態。今後10年以内に1万人以上減少することは間違いない――。
こうしたデータを並べた上で、私は教員たちに宣言しました。
「これからの西大和学園は進学校でいきます。進学校しか生き残る道はありません」
教員たちの反応は、意外なほど薄いものでした。
とてもイエスとは言えないが、理事長の私に面と向かって異を唱えるのはさすがに気が引けたのか。はたまた「有名私学の先生たちに感化されただけ。一時の気まぐれだろう」と流されたのか。まだ具体的な改革案を示したわけではなかったので、おそらく大半の教員は「ピンとこない」というのが本音だったかもしれません。
そんななか、いち早く進学路線に賛同してくれた先生もいました。たった二人だけですが。
そのひとりが、福井士郎先生です。
福井先生は、私立の進学校で数学と理科を教えるかたわら、進学指導を担当していました。西大和学園に来た当時は36歳。若い教員たちのなかでは年齢もキャリアも上でした。
進学路線への変更について意見を求めると
「生徒数の減少をみたときに、運動部で将来この学校はやっていくか、文化部のクラブ活動でやっていくか、それとも勉強か、選択肢はそのどれかになるが、やはり中途半端な私学はしんどくなっていくでしょう。そうなると、一番永続性、将来性がある道を選ぶのが賢明です。経験から言って、それはやはり進学ということになるでしょうね」
客観的にそう分析し、進学指導に関する手持ちの資料を提供してくれました。
もうひとりの賛同者は、英語を担当していた平林春行先生です。
平林先生は公立中学に数年勤め、25歳で西大和学園に入ってきました。
彼の持ち味を一言で表すなら「情熱」です。授業においても、学校づくりにおいても、とにかくまっすぐで、熱い。進学路線への変更を宣言したときも、彼の反応は直球ストレートでした。
「その改革は、本当に生徒らのためになるんですね? この学校のためになるんですね?」
怖いほど真剣な目で何度も確認した末に、賛同してくれたのです。
反対派の先輩教員も多く、現場のトップである校長や教頭でさえ100%受け入れているわけではない。四面楚歌といってもよい状況のなか、真っ先に手をあげるのはよほどの勇気が要ることです。