岸谷五朗さんが60代を前に思うこととは?「〝還暦〞は生まれ変わりの時。今はその準備期間だと思っています」
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ゆうゆう編集部
狂気の役から三枚目まで、個性際立つ存在感と演技で俳優としての確固たる地位を築いてきた岸谷五朗さん。最新の舞台『歌うシャイロック』では腹巻&雪駄姿、関西弁で金貸しシャイロックを演じています。俳優という仕事にかける思い、オフの時間の使い方から岸谷流年齢の重ね方まで、語っていただきました。
奥深い芝居の世界に今なお魅了されて
「役者になることは小学生の頃に決めていたんですよ。高校生になるまですっかり忘れていたけど(笑)」
懐かしい目でそう話す岸谷五朗さん。きっかけは母に連れていってもらった観劇だった。
「劇団四季の『ジーザス・クライスト=スーパースター』のこけら落とし公演とか、すごい作品をたくさん観せてもらって、小学生ながらに演劇の素晴らしさを感じました。俺と姉を劇場に入れたら、母は劇場の外で待っているんです。家が貧乏で自分のチケットが買えなかったからだと、後から聞いて知りましたけど」
中高生になると遊びに忙しく、演劇の感動も情熱も忘れかけていた。それが高校生のあるとき……。
「高校生のうちに将来は何をやるか、進路を決めようと思っていました。生涯ひとつの仕事を追求する人間、“匠”になりたかったんです。そこでちょっと真面目に考えてみて、そうだ、俺は舞台俳優になるんだった』と思い出した。『チャレンジしよう』じゃなくて『なるんだった』って」
19歳で「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」に入団。20代の頃は4畳半の部屋に住み、アルバイトをしながらクラシックバレエやタップダンス、ジャズダンスのレッスンに明け暮れた。
「人生の中で一番寝る時間がなかったし、苦しかった。でも、あんなに楽しい20代もなかったと思う」
舞台を中心に活動していた20代後半、人生の転機が訪れる。それは映画『月はどっちに出ている』への出演、そして監督・崔洋一さん、脚本家・鄭義信さんとの出会い。
「演劇しかやるつもりのなかった俺が、この2人から映画という世界へのインビテーションをもらった。この作品以降テレビドラマにも呼んでいただくようになって、舞台、映画、ドラマと、役者として仕事ができる3つの場所をもらえたことは大きなターニングポイントでした」
子どもの頃から器用で何でもこなせたが、すぐにやめてしまうタイプでもあった。そんな岸谷さんが40年近くも“芝居”一筋に情熱を燃やし続けられる理由は何なのか。
「もし、19歳で劇団に入ったときに芝居がうまくできていたら、もうやめていたかもしれない。でも芝居の世界は奥深くて難しくて、今でもまだ演劇1年生みたいな感じなんです。匠になるにはほど遠い。届かないものだからこそ、今もやめずに追い続けているんだと思います」