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【虎に翼】のモデル 三淵嘉子さんの後半生をたどる。愛情の深さをうかがうことができる、その選択とは?

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鷹橋 忍

NHK朝ドラ『虎に翼』も残すところあとわずか。登場人物のモデルが気になっている方、多いのではないでしょうか。作家 鷹橋 忍さんが、その実在モデルと思われる人物をひも解く、最終回は、主人公、寅ちゃんこと猪爪寅子のモデル 三淵嘉子さんについて。後編では、裁判官になってからの足跡をたどります。

▶️▶️前編はこちら
【虎に翼】寅ちゃん(伊藤沙莉)のモデル 三淵嘉子さん 誕生〜30代の半生をたどる。「真剣に生きるため」に選んだのは?

日本で二番目の女性裁判官に

嘉子は昭和24年(1949)8月、34歳の時、東京地方裁判所民事部の判事補に任命され、日本で二番目の女性裁判官となります(女性初の裁判官は石渡満子、女性初の検察官は門上千恵子。同年4月に採用)。

昭和25年(1950)5月にはアメリカの家庭裁判所制度視察団のメンバーに選ばれ、渡米しています。

初の女性判事として名古屋地方裁判所へ

通常、裁判官はまず「判事補」に任命され、その後、10年の実務を経験して、「判事」に昇進します。

嘉子も、弁護士であった期間も足して10年と認められ、昭和27年(1952)12月、判事となりました。日本初の女性判事です。

嘉子は名古屋地方裁判所へ転勤となり、小学校四年生の息子・芳武を連れて、名古屋に赴きました。

初の女性判事の赴任は、駅前の電光掲示板のニュースに流されるほど、名古屋でも注目の的だったといいます。

「夫婦のようなもの」ではなかった?

昭和31年(1956)5月、嘉子は東京地方裁判所判事として勤務することとなり、東京に戻りました。

同年8月、嘉子は、岡田将生が演じる星航一のモデルといわれる三淵乾太郎と再婚します。嘉子41歳、乾太郎50歳の時のことです。

ドラマの寅子と航一は「夫婦のようなもの」という関係を選びましたが、嘉子と乾太郎は法律上の婚姻関係を結び、嘉子は「三淵姓」を称しています。

乾太郎も裁判官であり、嘉子と結婚した時には、最高裁判所の調査官に就いていました。

ドラマの星航一と同じように、乾太郎も戦時中、総力戦研究所のメンバーの一人です。
乾太郎は昭和30年(1955)に妻と死別しており、亡き妻との間には三女一男が生れていました。

夫婦仲は、大変に睦まじかったようです。

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