【ばけばけ最終回】『怪談/Kwaidan』はなぜ最後に?他愛もない日常が“スバラシ”なワケ
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田幸和歌子
1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていただきます。『怪談』でおなじみ小泉八雲と、その妻 小泉節子をモデルとする物語。「ばけばけ」のレビューはついに最終回を迎えました。
※ネタバレにご注意ください
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>>【ばけばけ】こうして『怪談』は世に送り出された——その先に待つ、せつなく美しい幕引きとはすぐ隣にいながらも、この世界から去っていったことを
東京・百人町。韓国系を中心とした多国籍ムード漂い、日々観光客でにぎわう新宿区の街の一角に、「小泉八雲公園」はある。
ここは、NHK連続テレビ小説『ばけばけ』のレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)のモデルとなり、現在も世界中の人々に親しまれる『怪談/Kwaidan』を残したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)終焉の地である。公園内にはそれを示すモニュメントやハーンの胸像が立ち、周囲にも数箇所のよすがを残す。
周囲の喧騒とはまた違い、ハーンの故郷であるギリシアの雰囲気も取り入れられた公園は季節ごとに花が彩り、静かな雰囲気をたたえる。それはどこか、作品中のヘブンと、髙石あかりが演じたヒロインのトキが二人だけの時に見せるような空気にも似ているような気もする。
第25週「ウラメシ、ケド、スバラシ。」の放送をもって、『ばけばけ』は、その放送をすべて終了した。怪談という物語の根底に流れる「ウラメシ=恨めしい」というネガティブな言葉と、ヘブンが日本の豊かな風景や文化などに触れるたび口にした「スバラシ=素晴らしい」というポジティブな言葉が、「ケド」という接続助詞で結ばれる。
これは、来日当初日本の暮らしになじめず「ジゴク、ジゴク」と気に入らないことがあるたび口にした「ウラメシ」の世界も、その本質の「スバラシ」、ひいては妻としたトキや松野家の面々、そして長くリテラシーアシスタントをつとめた錦織(吉沢亮)らも含めた、日本のひとびとへの愛も込められている感情ではないだろうか。韻を踏むかのようなこの2つの感情こそが、この作品の大きな魅力なのだろう。
実際のハーンと同じく、ヘブンは新宿の自宅で、トキと穏やかに語らい笑いながら、トキの隣で眠るようにその生涯を閉じた。宍道湖のほとりで寄り添い合う場面など、トキとヘブンの2人が心を通い合わせる場面の美しさはとても印象的だ。
「シツレイナガラ、オサキ、ヤスマセテイタダキマス」
そう言って覚めることのない眠りにつくヘブン。すぐ隣にいながらも、この世界から去っていったことを感じて頬をつたう、トキの涙、この場面に至る前の、朝餉をともにしながら思い出話で笑い合う姿もまた、「スバラシ」である。
驚いたのは、この2人にとってのクライマックスのような別れが描かれたのが25週の2日目、火曜の放送だったことだ。ヘブンの遺影の隣に勘右衛門の遺影があり、あの世でも「ペリー、覚悟!」「ラストサムライ!」とやりあっているのでないかと、悲しいながらもクスッとさせてくれる、このドラマらしい小さな笑いは相変わらず盛り込まれているが、あと3話、ヘブン不在でどうするのか。
過去にはたとえば『カーネーション』のように、ヒロインが残り数話を残してこの世を去る作品だってもちろん何作も存在する。とはいえ、『カーネーション』はヒロインである母を超えて世界で活躍する娘たちへの〝継承〟の物語でもあった。しかし、『ばけばけ』は、ヘブン(ハーン)亡きあとの後日譚というものにさほど強いドラマ性はないのではないだろうか。
