【ばけばけ最終回】『怪談/Kwaidan』はなぜ最後に?他愛もない日常が“スバラシ”なワケ
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田幸和歌子
「他愛のない毎日がスバラシだった」
だが、この作品は、本連載でも何度も触れてきたとおり、「何も起こらない」ことを描くことを掲げた作品である。ヘブンがこの世を去るという、大きな出来事が起こってはいるが、それは自然の摂理であり、視点を変えると、ある意味そこには何も起こっていないのかもしれない。自然のままに還っていった、それだけのことだ。
ヘブンの死後、彼が最後に残した作品がなぜ『怪談/Kwaidan』だったのかと、イライザ(シャーロット・ケイト・フォックス)がトキを責め立てる。イライザからすれば、『怪談』は幼稚な民話集にすぎず、ヘブンの生涯を台無しなものとしたと言う。実際に『怪談』が世界的に評価されるのはもう少し先のこととなる。
イライザの言葉に、トキは激しく傷つく。しかし、だからこそ、イライザは自らも愛したヘブンを、トキにしか書けない、トキにしか見せていなかったレフカダ・ヘブンを回顧録として残してほしいと願う。とはいえイライザに責め立てられたことでトキには自責の念が重くのしかかる。何を書いたら、何を残したらいいのか……迷い路に入ってしまうトキに、母のフミが言う。
「他愛もない、ほんに他愛もない、スバラシな毎日だっただない?」
他愛もない、だけど「スバラシ」。まさにこのドラマが日々重ねてきた「何も起こらない」がそこに込められている。ざっくりいえば、『ばけばけ』は偉人をモデルとしたドラマである。現代も愛され続ける作品『怪談』は、本当に終盤まで登場しなかった。早く怪談を執筆する世界を見たい、いつになったら怪談を書くのか、そんなやきもきする思いを抱えた視聴者も多かっただろう。だが『怪談』は、このドラマが目指し、描いていこうとした方向性にとって、何かを「起こしてしまう」存在だっただろう。トキとヘブン、そして多くの周りの人たちと織り成していく「日常」。『怪談』を大きな柱にしてしまうと、それは描けないものになってしまっただろう。そんなふうに感じられた。
他愛のない毎日がスバラシだったと肯定してくれたフミの言葉に、救われた思いで涙するトキのもとに、1匹の蚊が現れる。「生まれ変わったら蚊になりたい」というヘブンの言葉通りなのか、その蚊の登場によって、ようやくこれまでのような明るい光がトキの目に戻ってきた。そして、ヘブンの思い出話を語り始めた。
誰もが知る「何かを起こした(残した)」人物をモチーフにしながら、「何も起こらない物語」を半年に渡り紡ぎ続けてきた。ヘブンの死後の3話は、ヘブンの死を経ても、やはり変わらず日常は続く。その後も「ウラメシ」なことは訪れるかもしれないが、それぞれの中にヘブンの存在が残る限り、他愛もない日常は「スバラシ」であり続ける。全話の視聴を終えたあとに残った印象は、当初期待した『怪談』のおどろおどろしく「ウラメシ」な世界でなく、他愛もない夫婦と取り巻くひとびとの「スバラシ」な時間となっていた。
何も起こらないことを描くドラマが、そんなことを残してくれた。
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