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【加藤登紀子さん82歳】人生最大の「まさか」は「結婚」。世間を驚かせた獄中結婚の理由は「説明できない」

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志賀佳織

加藤登紀子さんは昨年、歌手デビュー60周年を迎えました。激動の半生を振り返れば、そこには、思いがけない出来事や人との出会いが数えきれないほどたくさんあります。そんな「まさか!」と思わず言いたくなるような数々の出来事の中でも、加藤さんにとって最大の「まさか」とは何だったのか。こちらの問いかけに即答で返ってきたのは、こんな答えでした。

Profile

加藤登紀子さん 歌手

かとう・ときこ⚫1943年満州国ハルビン生まれ、京都府育ち。65年東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。69年「ひとり寝の子守歌」、71年「知床旅情」ではミリオンセラーとなりレコード大賞歌唱賞受賞。以後90枚以上のアルバムと多くのヒット曲を世に送り出す。88年、90年、米ニューヨークのカーネギーホール公演をはじめ、世界各地でコンサートを行う。恒例「ほろ酔いコンサート」は50年以上続いている。映画『居酒屋兆治』『紅の豚』では女優、声優として演技も披露。獄中結婚をした学生運動のリーダー藤本敏夫(2002年死去)との間に3人の娘がおり、孫は7人。

人生一番の「まさか」は……?

信じられないような「まさか」の状況を何度も経験してきた加藤さんだが、その中でも一番の「まさか」とは何だったのだろう。それを尋ねると、「結婚」という答えが間髪入れずに返ってきた。

「これは私に限らず、誰にとってもそうだと思うのですが、この世に生まれてこんなに珍しいことが起こるものなのかと思いませんか。結婚こそ、本当に『まさか』の出来事ですよね。振り返ってみても理由がわからないんですよ。説明ができない。最も理由のわからないものだと思うんです。というより恋。恋というものがそもそも説明ができない。でも一番肝心なことは説明できないものなのだなということを、今改めて痛感しますね。特にそれが起こっている最中には、絶対説明ができない。大事なことは、何の説明もなしにするものなんですよ」

加藤さんが結婚したのは1972年。お相手の藤本敏夫さんは、当時、学生運動のリーダーで、東京の中野刑務所に収監されていた。一般常識で考えれば、やはりこれこそ「まさか」の結婚スタイルではあるが、加藤さんは自身の考えを貫いた。このとき所属していた音楽事務所の社長であったシャンソン歌手の石井好子さんが、加藤さんの考えを全面的に支持してくれたことが非常にありがたかったと、最新刊『「ま・さ・か」の学校』の中に書いている。「私は歌手をやめてもいい、と思っています。この機会に、きちんとケジメをつけたいです」と言った加藤さんに、石井さんはこんな一言を贈ってくれたそうだ。「あなたは世の中の人に、いっさい何にも約束しなくていいのよ。あなたが今後どうするか、それは好きにしなさい。何より大事なのは、あなたが自由であること。あなたには社会的責任なんてないのよ」

恋というものが、結婚というものが、いや人生において大事なことというものは、説明のつかないものなのだということ、そして人がそれに向き合ったときに、最も大切なのは「自由であること」なのだということを、大先輩である石井さんはきっとわかっていたのだろう。

同書には、その藤本さんとの出会いの不思議についても記されていて興味深い。初めて二人だけで会ったその帰り際に、藤本さんがふと口ずさんだのが「知床旅情」であったというのだ。それは、加藤さんがその曲と出合うずっと以前のことだ。その藤本さんの歌声には「ふりしぼるような淋しさ」があり、すでにプロの歌手であった加藤さんが心を奪われ、驚き泣いたのだという。その後、拘置所に入った藤本さんを思って作った「ひとり寝の子守唄」が大ヒット。それをあろうことか、「知床旅情」の作詞作曲者であった森繁久彌さんが「僕と同じ心でうたう人を見つけたよ」と絶賛してくれた。その後、めぐりめぐって加藤さんもこの「知床旅情」をカバーし、大ヒット曲となるのだが、運命としか表しようのない「縁」の不思議に驚かざるを得ない。本当に「大事なことは説明がつかない」のかもしれない。

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