「好きな服」と「似合う服」、どちらを着るべき? ブランディングスタイリスト・あやみん先生が教える“今の私”に合う服の見つけ方
自分は「かわいい系」が好きなのに、人からは「カッコいい系」の服が似合うと言われる……、そんなとき、あなたならどちらを選びますか? あくまでも自分の好みを貫く? それとも、好印象を与えたほうがいいから似合うほうを取る? 一体どちらが正解なのか? 大人気ブランディングスタイリストのあやみん先生こと冨永彩心(あやみ)さんに聞きました。
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>>「似合う服がない」と悩む50代へ。ブランディングスタイリスト・あやみん先生がすすめる最初の一歩は“全身写真を撮ることProfile
冨永彩心さん ブランディングスタイリスト
とみなが・あやみ●1967年生まれ。専門学校卒業後、スタイリストとして活動。結婚・出産を機に専業主婦に。販売員として復職したのち、52歳で独立。「あやみん先生」の愛称で「45歳からの生き方をファッションで激変させる専門家」として活躍。開催する講座はまたたく間に満席になる人気ブランディングスタイリスト。
自分の「好き」を疑え
もし、「自分が好きな服」と「人から似合うと言われる服」が一致しないとき、どちらを選ぶのが正解なのだろう?
「私は基本的に、好きな服を自由に着ればいいと思っています」とあやみん先生。ということは、「好き」な服を着るのが正解?
「本来は、『好き』と『似合う』は大体同じことが多いんです。若い頃、ファッションを楽しめていた頃に好きだった服は自分に似合う服だったはず」
ところが、社会人や親になると、人は「好き」より立場を意識した服を着るようになる。「好き」を封印しているうちに、いつしか「好き」がわからなくなってしまうのだ。
「だから、『好き』だと思い込んでいるものが、実は昔、好きだったもののままということもあるわけです」
好きな服と似合う服が一致していた頃から、時が止まっている可能性があるということだ。
「『自分らしさ』は変わらないと思っている人は、『昔も今も好きな服のテイストが同じ』、『好きなアイテムが一貫している』ことをよしとします。今の自分が見えていないことが多いんです」
たとえば、「私はシャツよりブラウスのほうが似合う」とか「青は似合うけど、黄色は似合わない」といった、自分へのイメージは誰もが持っている。しかし、それを「一度、疑ってみて」とあやみん先生は提言。
「20代の頃から環境も体型も変わっていますよね。まずは、それを素直に受け入れましょう。好きな服や似合う服が変わるのは当たり前。変わることは悪くないんです」
今の自分の顔や体型が若い頃と違うのは当然。だから、思い込みを捨て、年齢とともに変わることを肯定しようということだ。
「年齢とともに好きなものが『変わる』というよりは、私は好きなものが『増える』だけだと思っています。20代のときにピンクハウスが好きだった私がいて、そのあとにモード系の服が好きだった私がいて、専業主婦時代にユニクロばかり着ていた私がいたとして、それらは全部、私なんです。『好き』が年齢を重ねるごとにどんどん増えただけのことです」
「本当に似合う服」を着る自信がない私
「若さで何でも似合っていた頃とは違います。今の自分を知るということは、『似合う』を知るということですから、丁寧に自分と向き合うことが必要です」
さらに、「好き」にはこんな側面もあるという。
「『自分はこれが好き』と思い込んでいるものが、実は『コンプレックスの裏返し』のこともあるんです」
どういうことだろう?
「こんなことがありました。あるとき、ひとりの生徒さんが、『先生に服をすすめてもらっても、それが自分の好きな服じゃなかったらどうしよう』と言うんです。彼女は身長約170cm、スラッと細くて、顔もカッコいい系で何を着ても似合いそうな人でした。暗めのネイビーのシャツにダークブラウンのセンタープレスのパンツをすすめたら『あー、センタープレスは……』って」
あやみん先生が選んだ服は、案の定、彼女の好きなタイプでなかった。
「でも心の底ではそういうスタイルが似合うことがわかっているんです。だけど、今の彼女はその服を着て自分が輝くところを想像できない。つまり、好きとか嫌いではなくて、そういう服が今の彼女の生活に合わないということなんです」
「好き」だと言っても着られない自分がさびしいから、最初から「そういう服は好きじゃない。私が好きなのはラクな服」だと思い込んでいるのだとあやみん先生は分析する。
「『好き』と『今の自分はこんな程度』ということが混然となっている。決してラクな服を着たいわけじゃなくて、ただ、そのほうが気が楽なだけなんです。スタイリッシュでカッコいいほうを着たいと内心思っていても、実際にはできないとき、最初から好きじゃないことにしたほうが自分が傷つかない。今の自分はカッコよく見せる必要がない、ないことにしたい。そうしないと自分がかわいそうなんだと思います」
