【どうする家康】足利義昭(古田新太)は、織田信長(岡田准一)の実は3歳年下だった
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鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
大河ドラマ『どうする家康』第13回「家康、都へ行く」では、古田新太さん演じる足利義昭、中村勘九郎さん演じる茶屋四郎次郎、大貫勇輔さん演じる浅井長政、酒向芳さん演じる明智光秀などが初登場しました。
今回は初登場した人物のなかから、足利義昭と茶屋四郎次郎を取り上げたいと思います。
まずは、足利義昭からみていきましょう。
15代将軍・足利義昭は信長よりも年下
足利義昭は、室町幕府の第15代将軍です。
第12代将軍・足利義晴の次男として、京都で誕生しました。
母親は関白の近衛尚通の娘で、義晴の正室です。実名は不明ですが、義晴が亡くなると出家し、「慶寿院」と号しました。
第13代将軍・足利義輝は、義昭の1歳違いの同母兄です。
義昭は天文6年(1537)の生まれで、天文11年(1542)生まれの家康より、5歳年上です。
岡田准一さん演じる織田信長は天文3年(1534年)の生まれですので、義昭は信長より3歳年下となります。
ドラマを観る限りでは、少し意外に思えるかもしれません。
僧侶から幽閉の身に
足利将軍家では、跡継ぎ以外の男子は僧籍に入るのが慣例でした。
義昭も天文11年(1542)に、6歳で奈良興福寺の一乗門跡に入っています。
永禄5年(1562)には一乗院門跡を継ぎ、「覚慶」と称しました。
僧侶としての道を歩んでいた義昭ですが、永禄8年(1565)5月19日、その人生を一変させる大事件が起りました。
兄の13代将軍・足利義輝が、三好義継らによって殺害されたのです。これは「永禄の政変」と呼ばれます。義昭、28歳のときのことです。
将軍の次弟であった義昭も、一乗院に幽閉されました。
信長に擁立されて将軍に
幽閉の身となった義昭ですが、約2ヶ月後の7月28日に義輝の近臣だった細川藤孝らの協力により、脱出に成功しました。
義昭ははじめ近江国甲賀の和田惟政を頼り、永禄9年(1566)9月、越前国の朝倉氏のもとに身を寄せました。
そして、永禄11年(1568)7月、信長に迎えられました。
義昭は信長とともに入京し、10月に15代将軍となりました(14代将軍・足利義栄は同年9月30日に死去)。
信長の傀儡将軍のイメージの強い義昭ですが、最近の研究では別の見解が示されています。
ドラマでは、今後、どのように描かれていくのでしょうか。