山村紅葉さん、母を語る。「死んでも約束は守る」「金儲けに楽はない」身をもって教えてくれた母でした
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ゆうゆう編集部
自分のできる範囲で 一流の装いを
学生時代、母が上京すると、よく二人で銀座に出かけては買い物を楽しんだ。「一流のものに触れなさい」というのも母の口癖のひとつだった。
「『ウインドーショッピングするだけでもいいので、一流のものに触れなさい』と言うんです。そして『たとえば帝国ホテルなどでお茶を飲んで、そこのサービスや周りの人の洋服、髪形、マナーを見て学びなさい。そのときは、自分もできる範囲で一流の装いをして行きなさい』と」。
「英語はちゃんと勉強しておきなさい」ということもよく言われた。
「『英語とコミュニケーション能力があれば、どこへ行っても何とかなるものよ』と。このふたつは、後に夫の転勤に伴ってニューヨークで暮らしたときにも、海外で仕事をするときにも非常に役立ちました」
若い頃はそれほどの実感なくやり過ごしてきた母の言葉が、大人になればなるほどその重みを増して響いてくると、今紅葉さんは感じている。
「亡くなってから、そして自分が母の亡くなった年に近づいてくると、ああそうだな、母の言っていたことって正しかったんだなと思うことが多くて……。ありがたかったなと思うことがいっぱいありますね」
今、心に思うことは、やはり母がそうだったように「死ぬまで現役でいたい」ということだ。
「母は120人ぐらいの編集者の方たちとおつき合いがあって『書くことは楽しいことばかりではないけれど、皆さんに囲まれて一緒にパーティしたり取材旅行に行ったりしたいから、ずっと現役でいたいわ。一生書くつもり』と言っていたんです。その気持ちが、年を重ねて私もわかってきました。私もみんなに囲まれている現場が大好き。そこでずっと生きていけたらいいなと思うんです。現場で死ぬと迷惑なので(笑)、打ち上げが終わって家に帰ってから死にたい(笑)。母という、いちばん身近な『一流』を手本に進んでいけたら幸せかなと思いますね」
P r o f i l e
山村紅葉
やまむら・もみじ●女優
1960年京都府生まれ。早稲田大学在学中に母・山村美紗の著書が原作のテレビドラマ「燃えた花嫁~殺しのドレスは京都行き~」で女優デビュー。卒業後は女優を引退し大阪国税局に勤務。しかし結婚を機に退職するや出演依頼が殺到、女優としての活動を再開する。代表作シリーズ「赤い霊柩車」「名探偵キャサリン」など500本以上の作品に出演。
※この記事は「ゆうゆう」2023年5月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のため再編集しています。