【どうする家康】家康の身代わりになった夏目広次(甲本雅裕)の壮絶なラストシーン
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鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
【前回】
【どうする家康】武田信玄(阿部寛)が見せつけた圧倒的な強さと存在感! 三方ヶ原合戦はどうなる⁉︎
大河ドラマ『どうする家康』第18回「真・三方ヶ原合戦」では、波岡一喜さんが演じる「酔いどれサムライ」こと本多忠真と、甲本雅裕さん演じる夏目広次が壮絶な死を遂げ、視聴者の涙を誘いました。
そこで、今回は本多忠真と夏目広次を取り上げたいと思います。
まずは、本多忠真からみていきましょう。
本多忠真
信長と同じ年?
本多忠真は、天文3年(1534)に生まれたといわれます。
これが正しければ、岡田准一さんが演じる織田信長と同じ年となります。
父親は、主君・松平広忠(家康の父)の身代わりとなって討死にしたと伝えられる本多忠豊です。
兄の本多忠高は、山田裕貴さんが演じる本多忠勝の父です。
家督は兄・忠高が継ぎましたが、忠高は忠勝が誕生した翌年の天文18年(1549)に討死してしまいます。
忠勝は僅か2歳(数え年)で父を失ったのです。
そのため忠真は、甥の忠勝を養育したといいます(小和田泰経著 小和田哲男監修『徳川家康と最強家臣団』)。
三方原合戦での奮戦
忠真は永禄4年(1561)の、寺島進さんが演じる水野信元との戦いで、功績をあげたと伝わります。
三河一揆では、忠勝と同様に、家康側につきました。
三方原合戦にも出陣し、徳川勢が退却する際に、殿(しんがり)を務めたといいます。
『寛政重修諸家譜(江戸幕府が編修した大名・旗本の系譜集)』によれば、忠真は自ら槍を振るい、敵兵を6、7人、討ち取りました。
ところが、敵の猛攻は止みません。
忠真はさらに3人を倒しましたが、最後は敵中に飛び込み、討死にしたといいます。
文献で語られる忠真も、ドラマと同様に、勇ましい武士ですね。
夏目広次
夏目広次は、永正15年(1518)に誕生したといわれます。
天文11年(1542)生まれの家康より、24歳年上となります。
父親は、松平清康(家康の祖父)、飯田基祐さんが演じた松平広忠(家康の父)に仕えた夏目吉久、母親は水野氏の娘です。
夏目氏は信濃国伊那郡夏目の地頭職でしたが、後に三河に移りました。