【どうする家康】無念の最期を迎えた水野信元(寺島進)は無実? 信長(岡田准一)は誅殺を後悔した⁉︎
公開日
更新日
鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
前回はこちら
【どうする家康】武田勝頼(眞栄田郷敦)が叫んだ「御旗・楯無ご照覧あれ」。誓った取り決めは、絶対に破ってはいけなかった
大河ドラマ『どうする家康』第23回「瀬名、覚醒」では、広瀬アリスさん演じる於愛の方が初登場し、家康の伯父である寺島進さん演じる水野信元が、無念の最期を迎えました。
そこで今回は於愛の方と、再び水野信元を取り上げたいと思います(第4回でも水野信元を少し取り上げています)。
まずは、於愛の方からみていきましょう。
於愛の方
家康より20歳年下?
於愛の方は、永禄5年(1562)に生まれたとされます(中村孝也『家康の族葉』)。
天文11年(1542)生まれの家康より、20歳も年下です。
於愛の方の出自には諸説ありますが、『寛政重修諸家譜(江戸幕府が編修した大名・旗本の系譜集)』には、父親は今川家臣であった戸塚五郎大夫忠春、母親は西郷正勝の娘とあります。
夫と死別
家康に仕えるまでも不明な点が多いですが、掛川市史編纂委員会編『掛川市史 上巻』によれば、父・忠春が討死すると、於愛の方の母は家康の家臣である服部正尚(別名 簑傘之助)に再嫁します。
於愛の方は正尚のもとで育ち、従兄弟の西郷義勝(祖父・西郷正勝の摘孫)と結婚し、一男一女を、授かったといいます。
ところが、夫の義勝も、討死してしまいます。
家康に見初められ、「西郷局」に改名
夫を亡くした於愛の方は、母の再嫁先である服部家に身を寄せました。
その後も諸説ありますが、山本博文『徳川秀忠』によれば、於愛の方は天正6年(1578)、服部家の屋敷を訪れた家康に見初められました。
於愛の方が数え年で17歳、家康は37歳のときのことです。
家康は浜松城に、於愛の方を連れて帰りました。
於愛の方は、伯父である西郷清員の養女となって家康に嫁ぎ、家康の命により、「西郷局」と改名したといいます。
二代将軍・徳川秀忠の母
ドラマのホームページの登場人物紹介にも掲載されているとおり、於愛の方は二代将軍となる徳川秀忠を産みます。
笛の演奏もたどたどしく、あまり器用ではなさそうですが、天真爛漫な於愛の方は、これから家康と、どのような関係を築いていくのでしょうか。
次は、水野信元が誅殺された背景と、その後をご紹介しましょう。