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【どうする家康】贅を尽くした富士遊覧が、信長(岡田准一)の心をつかむ。そして迫る、本能寺の変

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鷹橋 忍

【どうする家康】贅を尽くした富士遊覧が、信長(岡田准一)の心をつかむ。そして迫る、本能寺の変

「どうする家康」第26回より(C)NHK

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

前回はこちら

【どうする家康】「岡崎殿」と称され再婚しなかった五徳(久保史緒里)は、信康(細田佳央太)に心を残していたのか

大河ドラマ『どうする家康』第26回「ぶらり富士遊覧」では、タイトル通り、家康が贅を尽くした富士遊覧で、安土城(滋賀県近江八幡市)へ戻る岡田准一さん演じる織田信長をもてなしました。
天正10年(1582)、数えで家康41歳、信長49歳のときのことです。

今回は、この富士遊覧を取り上げたと思います。

富士遊覧へ

ドラマでも描かれたように、天正10年3月11日、ついに戦国大名・武田氏が滅亡しました。

3月29日、信長は手柄のあった者たちに、旧武田領を分配しています。

家康も、駿河国を与えられました。これにより家康は、遠江・三河・駿河の三カ国の大名となったのです。

徳川家臣の大久保彦左衛門忠教が子孫に書き残した自伝『三河物語』によれば、戦後処理を終えた信長は、「富士を一目見よう」と言い、家康の領国である駿河、遠江、三河を経て、安土城に帰ることになったといいます。

信長に仕えていた武士・太田牛一が著した『信長公記』によれば、家康は安土城へ帰る信長をもてなすため、街道や橋梁を整備し、宿泊地ごとに屋形を造り、たくさんの立派な休憩所を設けました。
提供する料理の食材は、京都・堺へ人を上らせて、珍しい品々を調達したといいます。

信長から秘蔵の品を貰う

『信長公記』には、このときの信長ら一行が辿った行路が、詳しく記されています。
それによれば、信長は4月10日、甲府を出立しました。
この日は、家康とともに、左右口(甲府市)に泊りました。

4月11日は、本栖(山梨県市川三郷町)に宿泊。

4月12日は、高峯に雪が積もった富士山を眺め、ドラマの紀行巡礼でも取り上げられた人穴(人穴富士講遺跡 静岡県富士宮市)を見物。
浮島ガ原(静岡県富士市)で乗馬を楽しみ、富士山本宮浅間大社(富士宮市)境内に建てられた宿泊所に入りました。
この一泊のためだけに建てられた宿泊所ですが、金銀で飾られ、大変に美しいものだったようです。

心のこもったもてなしに感謝したのか、信長は家康に、秘蔵の脇差、長刀、馬を贈っています。

名所見物

4月13日は田子の浦(富士市)、三保の松原や羽衣の松(静岡市)などの名所を物し、この日は江尻城に泊まりました。

4月14日は、宇津ノ谷峠(静岡市と藤枝市の境にある)を越えて、田中城(静岡県藤枝市)に泊っています。

4月15日は瀬戸川の河原(藤枝市)や、小夜の中山(掛川市と島田市の境にある)に建てられた休憩所で酒肴の接待を受け、懸川城(掛川市)に泊まりました。

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