【どうする家康】伊賀越えの前、家康は信長のあとを追うつもりだった?「知恩院で、追腹する」という発言
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鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
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【どうする家康】光秀が本能寺の変に踏み切った動機は?黒幕はいたの?
大河ドラマ『どうする家康』第29回「伊賀を越えろ!」では、タイトル通り、決死の「神君伊賀越え」が描かれました。
神君伊賀越えは、三河一揆、三方原合戦とともに、家康の三大危機の一つに数えられ、「生涯の困難の第一」とまでいわれています。
ドラマでも、家康自ら敵と刀を交えたり、あやうく首をはねられそうになったりと、手に汗握る苦難の連続でした。
そこで、今回は、神君伊賀越えを取り上げたいと思います。
家康は信長のあとを追うつもりだった?
天正10年(1582)6月2日の早朝、堺(大阪府堺市)に滞在していた家康は、織田信長と合流するため、田辺誠一さんが演じる穴山梅雪らとともに、京都へと出発しました。
その途中、家康は信長とその嫡男の織田信忠が、酒向芳さんが演じる明智光秀に討たれたことを知ると、「知恩院(家康が信仰する浄土宗の総本山)で、追腹(殉死)する」と言い出したといいます。
ですが、山田裕貴さん演じる本多忠勝らの説得で考えを改め、本領の三河に戻るために、伊賀越えに踏み切ったのです。
謎多きルート
伊賀越えのルートに関しては、関係史料によって、様々な説が存在します。
ここでは代表的な三つのルートを、ご紹介しましょう。ドラマでは、家康が御斎峠方面、石川数正が桜峠方面、大森南朋さんが演じる酒井忠次が設楽・近江路方面と、三手に分かれていました。
諸説あるなか、もっとも信憑性が高いとされているのが、『石川忠総留書』に記されたルートです。
『石川忠総留書』とは
『石川忠総留書』の著者は、石川忠総(1582~1651)といいます。
石川忠総は、大久保忠隣(小手伸也さんが演じる大久保忠世の子)と、石川家成(家康の母方の従兄弟、松重豊さん演じる石川数正の叔父)の娘の間に生まれました。
伊賀越えには、父の大久保忠隣をはじめ、石川数正など石川忠総の近親者が随行していたため、『石川忠総留書』における伊賀越えの記述の信憑性は高いとみられています。
『石川忠総留書』は、次に述べる「桜峠越え」を伊賀越えのルートとしています。