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【どうする家康】秀吉は、出奔した石川数正(松重豊)を、それほど厚遇しなかったといわれる

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鷹橋 忍

【どうする家康】秀吉は、出奔した石川数正(松重豊)を、それほど厚遇しなかったといわれる

「どうする家康」第33回より(C)NHK

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

★前回はこちら★

【どうする家康】健気に振る舞う姿に泣かされた、旭は家康より1つ年下?元夫の行方は?

9月10日の大河ドラマ『どうする家康』の放送はお休みでした。
ですので、今回は9月3日の放送で、出奔の理由が明らかになった、松重豊さん演じる石川数正のその後と、その妻についてご紹介したいと思います。

まずは、数正の妻からみていきましょう。

数正の妻は誰?

数正の妻は、ドラマでは木村多江さんが演じる「鍋」でしたが、記録にはどのように残っているのでしょうか。

江戸幕府が編纂した大名・旗本の系譜集『寛政重修諸家譜』の「石川」の項には、数正の妻は、内藤右京進某の娘と記されています。
内藤家は、上野下村城(愛知県豊田市上之郷)を拠点としていたといいます(菊池浩之『徳川家臣団の系図』)。
ですが、同じ『寛政重修家譜』の「形原松平家」の項にも、数正の室と記された女性がいます。

また、江戸時代前期の儒者で兵学者の山鹿素行が著した『武家事紀』の数正の項目では、数正の妻を、浜野謙太さんが演じた織田信雄の家臣・尾張の中川三四郎の姉としています。

そして、出奔に際して、妻の実家の尾張愛知郡米野で旅装を整え、大坂へと向ったと記されています。

出奔後、直政と顔を合わせた?

出奔後の数正にまつわる逸話が、新井白石著『新編藩翰譜』に記されています。

ドラマでも描かれたように、家康は秀吉の妹・山田真歩さんが演じる旭(朝日とも)と結婚しました。
そして、家康の上洛時の人質として、豊臣秀吉の母・高畑淳子さんが演じる大政所(仲)を岡崎に送ってきます。

家康が帰国し、大政所を秀吉のもとに送り返すにあたり、大政所を送って行ったのが、板垣李光人さんが演じる井伊直政だったといいます。

大政所を送って上洛した直政を、秀吉は大坂城の饗宴に招きました。
そのとき秀吉は数正を、直政の「昔の傍輩なれば」と、宴に接伴させました。
直政は数正と、面を合わせなかったといいます。

その後の秀吉がみずから茶を立てた茶の席にも、数正は接伴していました。
すると、直政は「これにさぶらう数正は、譜代相伝の主君に背き、関白殿下に従った大臆病者なれば、この直政、彼と肩を並べ、膝を組まん事、ご免蒙りたい」と言い放ったといいます。

ドラマでは、数正が家康のために出奔を選んだことを徳川家中は理解し、感謝していましが、もし、この逸話が真実だとしたら、直政にとって数正は、裏切り者という認識だったのでしょう。

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