【どうする家康】健気に振る舞う姿に泣かされた、旭は家康より1つ年下?元夫の行方は?
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鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
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大河ドラマ『どうする家康』第34回「豊臣の花嫁」では、タイトル通り、豊臣秀吉の妹・山田真歩さん演じる旭が、家康に嫁ぎました。
有村架純さんが演じた瀬名(築山殿)に続く、家康の二人目の正妻となります。
悲しみをこらえ、明るく健気に自分の役目を果たそうとする旭の姿は、視聴者の心を捉えたのではないでしょうか。
そこで今回は、旭を取り上げたいと思います。
旭? それとも朝日?
旭は、「朝日」とも伝えられています。
たとえば、慶長15年(1610)に岡部大さんが演じる平岩親吉が著したとされる『三河後風土記』を、成島司直(『徳川実紀』の編者)が徳川幕府の命を受けて改撰した『改正三河後風土記』には、「朝日村で生まれたため、朝日という」という記述があります。
旭と朝日、どちらが正しいのかはわかりません。
実は、秀吉の妹で、家康の正妻となった女性の名は、当時の史料では確認されていないのです。
ここではドラマと同じように「旭」と表記します。
家康より一つ年下?
旭は天文12年(1543)産まれといわれ、これが正しければ、天文11年(1542)生まれの家康より、一歳年下となります。
母親は、高畑淳子さんが演じる仲(大政所)です。
大政所は最初の結婚で、夫・弥右衛門との間に、智(三好吉房の妻、豊臣秀次らの母)と秀吉の二子を産んだとされます。
弥右衛門の死後、大政所は筑阿弥という人物と再婚します。
筑阿弥との間に産まれたのが、佐藤隆太さん演じる豊臣秀長と旭だといいます。
ですが、四人とも弥右衛門の子であるという説もあります。
家康と結婚する前に夫がいた?
ドラマでも言及されましたが、旭には家康と結婚する前に夫がおり、その夫と離婚したという話が残っています。
『改正三河後風土記』では夫の名を佐治日向守とし、「天下のために妻を返すべし」という秀吉の命を、これを拒むのは「天下人民の苦を思はざるに似たり」と受け入れます。
ところが、妻を取り返されては「我身人に面を向べからず(他人に顔向けできない)」と自害したと記されています(『改正三河後風土記』二十三巻「関白妹君浜松御輿入の事」)。
また、尾張藩が編集した地誌『尾張志』では、夫の名を副田吉成、あるいは副田甚兵衛とし、秀吉から旭と離別するにあたり、「五万石の封を与える」と提示されます。
ですが、「妻の代わりに禄を得ることは、武家の本意にあらず」と辞し、離別後は出家したと、書かれています。
いずれにせよ旭の夫に関しては、当時の史料では確認できず、よくわかっていません。
秀吉の妹でありながら夫の素性がよくわかっていないのは、まだ秀吉の身分が低いころに結婚したからだと推定されています(中村孝也「家康の族葉』)。