【べらぼう】喜多川歌麿(染谷将太)の本当の出自は? 蔦重(横浜流星)との今後の関係は?
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鷹橋 忍
横浜流星さんが主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/蔦重)を演じる、2025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめものがたり)〜」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を隔週でお届けします。今回は喜多川歌麿(きたがわうたまろ)について取り上げます。
NHK大河ドラマ『べらぼう』 第34回「ありがた山とかたじけ茄子(なす)」と第35回「間違凧文武二道(まちがいだこぶんぶのふたみち)」が放送されました。
第35回では、染谷将太さん演じる喜多川歌麿が蔦重の元を訪れ、藤間爽子さん演じるきよと結婚する意思を報告しました。今回はそんな歌麿について取り上げたいと思います。
謎だらけの出自
ドラマの喜多川歌麿は、明和9年(1772)に起きた江戸の大火の際に、蔦重が助けた唐丸です。ですが、江戸時代に活躍した世界的に有名な浮世絵師の喜多川歌麿の出自は、解明されていません。親兄弟の名前も出身地も、武家に生まれたのか農民や商人の家に生まれたのかもわかっていないのです。
生年も不詳ですが、文化3年(1806)に54歳で没したという通説から逆算して、宝暦3年(1753)の生まれだと推定されています。宝暦3年説が正しければ、寛延3年(1750)生まれの蔦重より3歳年下となります。歌麿はもう少し若く、蔦重より10歳くらい年下と推定する説もあります(鈴木俊幸『本の江戸文化講義 蔦屋重三郎と本屋の時代』)。
鳥山石燕に絵を学ぶ
寛政2年(1790)頃、桐谷健太さんが演じる大田南畝(なんぽ)が原撰した浮世絵師の伝記・経歴の考証書『浮世絵類考』によれば、歌麿の名は「勇助」といいます。
はじめ、片岡鶴太郎さんが演じる鳥山石燕(とりやませきえん)の門人となって狩野派の絵を学びました。鳥山石燕は、『画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)』などの妖怪絵本で知られる人気絵師です。ドラマでも、歌麿は鳥山石燕の弟子となっていましたね。
鳥山石燕は歌麿以外にも、岡山天音さんが演じる恋川春町(こいかわはるまち)や、加藤虎ノ介さんが演じる志水燕十(しみずえんじゅう)など、多くの弟子を抱えていました。
茄子の挿絵でデビュー
歌麿のデビュー作とされるのは、鳥山石燕および彼の一門が中心となって挿絵を担当した歳旦帳(さいたんちょう/年の初めに刊行される句集)『ちよのはる』です。『ちよのはる』は明和7年(1770)に刊行され、歌麿は「石要(せきよう)」という当時の画号で、俳句に茄子の絵を添えています。
その後、歌麿は「北川豊章(とよあき)」と号し、安永4年(1775)頃からおそらく師・鳥山石燕の紹介で、黄表紙などの挿絵や役者絵などを手がけていきます。
歌麿の誕生
北川豊章と号していた歌麿は、天明元年(1781)に蔦重の元で刊行された黄表紙『身貌大通神略縁記(みなりだいつうじんりゃくえんぎ)』において、「忍岡哥麿(しのぶがおかうたまろ)」と号して挿絵を描きました。これが「歌麿」と号した最初の作品とされます。
ドラマと違い、歌麿がいつ、どこで、どのように蔦重と出会ったのかは明らかではありませんが、歌麿が蔦重の元で仕事をしたのは、この『身貌大通神略縁記』がはじめてだったといいます。以後、蔦重は歌麿を強力にプッシュし、手塩にかけて育てていきます。
