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【べらぼう】喜多川歌麿(染谷将太)の本当の出自は? 蔦重(横浜流星)との今後の関係は?

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鷹橋 忍

蔦重の元に身を寄せる

歌麿は翌天明2年(1782)秋、上野のおそらく料亭で、尾美としのりさんが演じる朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ/平沢常富)や、橋本淳さんが演じる北尾重政(しげまさ)など、当代一流の戯作者や浮世絵師などの文化人を招いて宴を催しています。

ですが、まだ無名に近い絵師であった歌麿に、このような宴を開けるとは考えにくく、宴の真の主催者は蔦重だったと推定されています。ドラマの蔦重も、歌麿の名を売るために宴会を開いていましたね。蔦重の狙いは、歌麿の価値を上げることと、歌麿を一流の文化人と引き合わせ、彼らと仕事をする機会を作ることだったと考えられています(安藤優一郎『蔦屋重三郎と田沼時代の謎』)。

また前述の『浮世絵類考』には、歌麿が蔦重の元に身を寄せていたことが記されており、蔦重が日本橋通油町(中央区大伝馬町)に進出した天明3年(1783)頃から寛政3年(1791)頃まで、歌麿は蔦重の家で暮らし、生活の面倒を見てもらっていたとされます。

【べらぼう】喜多川歌麿(染谷将太)の本当の出自は? 蔦重(横浜流星)との今後の関係は?(画像4)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第37回より ©NHK

狂歌絵本で名を高める

天明期(1781~1789)は、狂歌が大流行していました。狂歌は基本的にはその場で詠み捨てられて記録を残さないものですが、蔦重は狂歌会を企画し、自ら詠み捨てられた狂歌を「狂歌本」として刊行していきます。

狂歌ブームが一段落すると、蔦重は狂歌本に絵を加えた新ジャンル「狂歌絵本」の出版を天明6年(1786)から開始し、歌麿は絵画創作の中心的な役割を担いました。天明8年(1788)に出版された狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』では、歌麿が虫にちなむ恋の狂歌に合わせて描いた虫と草花の絵が大評判となり、歌麿の代表作の一つとなります。

狂歌絵本の成功により、歌麿の浮世絵師としての名は高まりました。続いて蔦重と歌麿は、美人画へと進出していくことになります。

美人大首絵で美人画の第一人者に

ドラマでも描かれたように、天明6年(1786)8月、眞島秀和さんが演じた十代将軍・徳川家治(いえはる)が急死し、渡辺謙さんが演じた田沼意次(おきつぐ)は後ろ盾を失い、失脚します。

天明7年(1787)4月、城桧吏さんが演じる徳川家斉(いえなり)が十一代将軍に就任し、同年6月、井上祐貴さんが演じる松平定信(さだのぶ)が老中首座を拝命。松平定信は寛政の改革を主導していきます。改革に伴い、出版物の取り締まりが厳しくなりました。

寛政3年(1791)、蔦重が出版した古川雄大さんが演じる山東京伝(さんとうきょうでん)の洒落本が禁令を犯しているとされ、蔦重は財産の半分を没収されるという処分を受けています(松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』)。

この事件のダメージからの巻き返しを図り、蔦重は歌麿の上半身のみを描く「大首絵(おおくびえ)」の形式で、表情を強調した「美人大首絵」という新しいジャンルの作品で、美人画に進出しました。

寛政4~5年(1792~1793)にかけて、『婦人相学十躰(ふじんそうがくじってい)』、『婦女人相十品(ふじょにんそうじっぴん)』、『歌撰戀之部(かせんこいのぶ)』などの美人大首絵が刊行され、大好評を博しています。特に、『婦女人相十品』の「ホッピンの娘」は、よく知られています。

さらに、後に「寛政三美人」と称される、実在する江戸で評判の美人を名入りで描いた『当時三美人』は大ヒットし、歌麿は一躍、浮世絵界のスターの座に上り詰め、蔦重も経済的に潤いました。

【べらぼう】喜多川歌麿(染谷将太)の本当の出自は? 蔦重(横浜流星)との今後の関係は?(画像5)

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第36回より ©NHK

蔦重との関係に変化?

このように、よい関係を築いていたと思われる歌麿と蔦重でしたが、その関係は寛政5年(1793)または6年(1794)から、冷え込んでいったとされます。

その理由は、一説によれば、売れっ子になった歌麿は、他の版元からの勧誘がさらに増えたため、蔦重から遠ざかっていった。もしくは、歌麿が写楽に強く入れ込む蔦重に反感を抱き、蔦屋から離れたともいわれます(松木寛『新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』)。

歌麿の処罰と死

蔦重は寛政9年(1797)、48歳で病没します。歌麿はその後も創作を続けるも、豊臣秀吉の事跡を読本化した『絵本太閤記』を題材とした、歴史絵ともいうべき『太閤五妻洛東遊観之図(たいこうごさいらくとうゆうかんのず)』が禁令に触れ、文化元年(1801)5月、50日の手鎖の刑(両手首に鉄の枷をつけられ、自宅等で軟禁状態)に処せられてしまいます。

この刑を受けてから2年後の文化3年(1804)、歌麿は息を引き取りました。ドラマの歌麿は、この先どんな人生を歩んでいくのでしょうか。

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