「女が東大なんて」にどう向き合った?【加藤登紀子】「母の“ガラスの天井”を、私が打ち破ったのかもしれない」
人と同じでなくていい——その「違い」を力に変え、人生を切り拓いてきた女性たちがいます。華やかな経歴の裏には、誰にも見えない葛藤と、「ガラスの天井」を越えてきた確かな歩みがありました。医師・鎌田實さんが、女性ゲストの人生をあたたかく、軽やかにひもとく新刊『女の“変さ値”』(潮出版社刊)。今回は、その中から加藤登紀子さんへのインタビューの一部をご紹介します。
天井なんてない、いつも空があった
女性の活躍を妨げる見えない障壁、いわゆる「ガラスの天井」を感じたことはあるか。この問いをずっと投げかけてみたかった人がいる。加藤登紀子さんである。
加藤さんには、僕が長らく続けてきた日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)などの支援活動にいつも協力をいただいている。加藤さんが数年前に黒海沿岸の国・ジョージアでコンサートを開催する際には同道のお誘いも頂戴した仲だ。
都内での対面インタビューが始まるなり“おときさん節”が炸裂する。
「正直に言うと私、『ガラスの天井』って感じたことないんです(笑)。そもそも私の世界観には天井がない。あるのは空だけ。私は生まれたすぐ後から難民生活をしていたから、天井もガラスも、柱も窓も何もなかったのよ。人生をマイナスからスタートしているから、普通に生きている時点でもう万々歳なんです。
2025年4月に幼少期から10代の頃までのことを書いた自伝を出したんだけど、その本のサブタイトルは“いつも空があった”なんです」
自伝とは『トコちゃん物語 いつも空があった――加藤登紀子自伝 誕生・青春編』(合同出版)のこと。天井はなく、いつも空があったというのはいかにも加藤さんらしい。
加藤さんは満州国ハルビン市で生まれ、2歳の頃に佐世保に引き揚げてきた。まだヨチヨチ歩きができるようになったくらいの時期だったが、その時期に覚えた言葉をのちに母親から聞かされた。
「引き揚げの最中に“お家へ帰ろう”って言ったらしいんです。家って言ったって、引揚者なんだから家なんてないの。あるのは一枚の煎餅(せんべい)布団だけ。それをグルグル巻いて持ち運べば、どこでも野宿ができますから。当時の私の家はその煎餅布団。柱も壁も屋根もない。だけど空はある。
家がない小さな子どもが“お家へ帰ろう”って皮肉な話でしょ。でも、周囲の大人たちにはウケたんだと思います。みんな可愛がってくれていたみたいですから。母親にはとにかく私が言った“お家へ帰ろう”がすごく残ったらしいです」
Profile 加藤登紀子さん
かとう・ときこ●シンガーソングライター
1943年ハルビン生まれ。65年、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。88年、90年にカーネギーホールで公演するなど海外での活動も多く、現在も国内外で活発にコンサート活動を続けている。
