「女が東大なんて」にどう向き合った?【加藤登紀子】「母の“ガラスの天井”を、私が打ち破ったのかもしれない」
母親にとっての「ガラスの天井」
そのあと東京で暮らしていたとき、ある朝、加藤さんは母親にたたき起こされる。
「トコ、起きなさい! こっちへ来てみなさい。青空よ。綺麗よ!」
まだ眠い目をこすって母親がいる台所に行くと、昨夜まであった天井が綺麗になくなっていた。前夜の台風で飛ばされてしまったのだ。
「屋根が吹き飛ばされたのに、母は嬉しそうにしてるんです。“青空よ! 綺麗よ”って。まあ、バラック小屋で屋根が飛ばされることは珍しくなかったし、損失も大きくはないんだけど」
自身の世界観には天井そのものがなかった加藤さんだが、母親がずっと「ガラスの天井」と闘ってきたことは、早い時期から感じ取っていたようだ。
加藤さんの母親は、大正ロマンの時代に若い時期を過ごしている。いわゆる「モボ・モガ」の時代だ。それゆえに内面では旧習的な価値観からは解放されていたものの、社会にはまだまだそれを縛り付ける慣習があった。
「女は勉強したらあかんって言われて育ったみたいです。女性が仕事をするのは家の恥と言われていた時代だから、家の手伝いをしなさいと言われるわけです。母は洋裁学校に通ったみたいですが、結局、仕事には就(つ)きませんでした。そんな話をよく聞かされたんです」
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