【豊臣兄弟!】竹中半兵衛(菅田将暉)は“婦人のごとし”? 半兵衛と黒田官兵衛(倉悠貴)はどんな人物か
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鷹橋 忍
黒田官兵衛の本当の名前は?
官兵衛は天文15年(1546)に、御着城(ごちゃくじょう/兵庫県姫路市)の城主・小寺政職(まさもと)の重臣である黒田職隆(もとたか)の嫡男として、播磨国姫路で生まれました。母は、枝吉城(兵庫県神戸市)の城主・明石宗和(そうわ)の娘で、小寺政職の養女です。
「官兵衛」は通称で、名を祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、孝高(よしたか)と称しました。出家後は、如水軒円清(じょすいけんえんせい)と号しています。
黒田官兵衛、もしくは黒田如水と呼ばれることが多いです。なお官兵衛は、正確には「かんびょうえ」と読みます。
織田に従属する
父・黒田職隆は小寺政職から姫路城を任され、小寺姓を与えられていました。官兵衛も小寺政職に仕え、天正7年(1579)頃まで、小寺姓を称しています。
天正3年(1575)頃、織田と毛利の大勢力に挟まれ、どちらかを選択しなければならなくなったとき、官兵衛は小寺政職らに織田信長への従属を説きました。小寺家は織田家を選びますが、官兵衛の意向が働いたと考えられています(諏訪勝則『黒田官兵衛「天下を狙った軍師」の実像』)。
前に述べたように、天正5年(1577)、播磨国に入った秀吉を姫路城に迎え入れ、信長の中国地方攻略に協力しました。
幽閉される
天正6年(1578)10月、トータス松本さんが演じる荒木村重(むらしげ)が信長に背くと、村重を説得するために摂津有岡城(兵庫県伊丹市)に乗り込むも、幽閉されてしまいます。翌年、救出されますが、この頃から黒田姓に戻ります。
本能寺の変の後は秀吉の右腕として、四国や九州など各地を転戦。獅子奮迅の活躍により、豊前国(ぶぜんのくに/福岡県東部から大分県北部)の八郡のうち、京都(みやこ)・築城(ついき)・仲津・上毛(こうげ)・下毛(しもげ)・宇佐の六郡を与えられ、中津城(大分県中津市)の城主となります。
官兵衛はキリシタン大名であり、文化人としても知られます。ドラマでのこれからの活躍が楽しみですね。
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