【豊臣兄弟!】悲劇的な最期を遂げた浅井長政(中島歩)。市(宮﨑あおい)のその後は?
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鷹橋 忍
2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を月1回お届けします。今回のテーマは、浅井長政(ながまさ)です。
大河ドラマ『豊臣兄弟!』第17回「小谷落城」では、タイトル通りに、浅井氏の居城である小谷城が落城し、中島歩さんが演じる浅井長政が自刃。宮﨑あおいさんが演じる市(いち)は、3人の娘を連れて小谷城を去りました。浅井長政の悲劇的な最期は、強い印象を残したのではないでしょうか。今回は、その浅井長政を取り上げたいと思います。
浅井長政とは
浅井長政は、天文14年(1545)に生まれました。天文3年(1534)生まれの織田信長より11歳、天文6年(1537)の生まれとされる秀吉より8歳、天文9年(1540)とされる秀長より5歳年下となります。
市の生年は出産年齢などから、天文19年(1550)頃の可能性が高いと推定されていますが、定かではありません(黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。仮に天文19年で計算すると、市は長政より5歳年下となります。
父は、榎木孝明さんが演じる浅井久政(ひさまさ)。母は、伊香郡井口(滋賀県長浜市高月町井口)の土豪・井口経元(つねもと)の娘で、小野殿、阿古御料(あこごりょう)などと呼ばれました。
六角氏の重臣の娘との婚姻
浅井氏は近江源氏佐々木氏の庶流・京極氏を主家としますが、長政が誕生した頃は、六角氏の従属下にもありました。六角氏は近江源氏佐々木氏の嫡流で、中世を通じて近江国(滋賀県)守護を務め、近江国(滋賀県)南部を支配した名門です。
長政の最初の実名は、「賢政(かたまさ)」といいますが(ここでは長政で統一)、これは六角氏の当主・六角義賢(よしかた)の名から一字与えられたものです。
また、長政は永禄2年(1559)正月に15歳(数え年)で元服したとされますが、元服と同時に六角義賢の重臣である平井定武(さだたけ)の娘を妻に迎えています。ところが、同年の4月に長政はこの妻と離別しました。これは、六角氏との断交と合戦におよぶことを意味します(以上、宮島敬一『浅井氏三代』)。
実際に浅井氏は、翌永禄3年(1560)8月に、浅井氏の領国に侵攻してきた六角方の軍勢を、野良田(滋賀県彦根市)での戦いで撃破したといいます。この頃から浅井氏は六角氏の従属下から脱し、六角氏と抗争を繰り広げていくことになります。
16歳で当主に
江戸時代に成立した軍記史料『江濃記(ごうのうき)』によれば、永禄3年(1560)10月、浅井久政は浅井氏の居城である小谷城(滋賀県長浜市)の小丸(こまる)に隠居し、長政が家督を継ぎました。長政は16歳という若さで、当主の座に就いたのです。
長政は領国統治にあたりましたが、外交関係などは、家長である久政と長政の共同統治が行なわれていたとみなされています(黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。
翌永禄4年(1561)5月、長政は実名を、「賢政」から「長政」に改めました。長政が織田信長の妹・市を妻としていることから、長政の「長」は、信長の名から一字与えられたとする説も根強いですが、長政と市の婚礼は永禄4年よりも後なので、その可能性は低いと考えられています(新谷和之「浅井長政––––“悲劇の英雄”の実像」 柴裕之編『戦国武将列伝 別巻1 織田編』所収)。
