朝ドラ「ブラッサム」父・清治の「死にとうない」ににじむ孤独。渡部篤郎の名演が胸に刺さる
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田幸和歌子
1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていたきます。作家・宇野千代をモデルに、明治・大正・昭和を生き抜いた葉野珠の人生を描く「ブラッサム」のレビューです。
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>>朝ドラ「ブラッサム」クズ父でありながらも奥底には娘への愛が…清治(渡部篤郎)のインパクト永遠の別れによってもたらされた「解放」
作家・宇野千代をモデルとするNHK連続テレビ小説「ブラッサム」の第2週「父からの、解放」が放送された。
サブタイトルにある「父」は、言うまでもなく石橋静河が演じる主人公・珠の父、清治(渡部篤郎)のことである。第1週から暴君のようなふるまいや言動をみせては家族や周囲の人々を引かせたりすることもあったりする存在でもあった。物語の序盤、明治後期から大正にかけては社会でも家庭でも男女の位置付けには絶対的な差があったとはいえ、妻や子どもたちをあまりにも理不尽に、そして極端に縛り付けてきた。
そんな父からの「解放」とは、結局は永遠の別れによってようやくもたらされるものであった。
「解放」前、つまりまだ清治が元気で家族への厳しい制約を続けるなか、珠は女学校の最高学年4年生になっていた。前に記したような男女の格差が強くあった時代、女性も学校に通って学べるとはいえ女学校が掲げる理念は「良妻賢母の育成」である。
父に隠れて本を貪り読んでは小説の世界への思いを膨らませ続けた珠は、家では「ととさまに叱られるけぇ」と教室でトルストイの『イワンのばか』を読み、同じく文芸好きで気が合う同級生の忍(木竜麻生)もまた、平塚らいてうを愛読するなど〝文芸女子〟としての楽しい空気が溢れかえる。
そんななか、忍の提案により、珠たちが一大決心をする。仲間たちで同人誌を作ろうというのだ。女性たちの考えを自由に世に発信する場にしようと。現代では同人誌といえばコミケなどで販売されるコミック系のものを連想することが多いかと思われるが、同好の士が集まって自身の手で執筆・編集・発行する冊子は日本でも本作の時代の前から、尾崎紅葉らによる『我楽多文庫』など文芸界で複数発行されていた。
なかでも武者小路実篤や志賀直哉による『白樺』は「白樺派」と呼ばれる作家たちの活動拠点のような存在としてその時代の文学界を引っ張る存在になっていくなど、多くの人に読まれ、影響を与えたりする存在となった。ちなみに前出の平塚らいてうは、婦人月刊誌『青鞜』の編集長として婦人問題を世に問う日本のフェミニズムのさきがけとなるような存在だった。
多感な時期の文芸女子たちにとって、これらの雑誌や同人誌の存在は大きな刺激として迎え入れられ、その後の人生に影響を与えたことは想像に難くなく、珠がのちの宇野千代であることを知る我々視聴者は、はじめからその才能の開花の片鱗はあったんだと序盤からその息吹を感じ取ることのできるワクワク展開である。
珠たちが発行した同人誌の名は『黎明』。夜明け前、色々なことの始まりを感じさせる、物語的にも、珠たちの未来にも期待が詰まった名称だ(ちなみに実際に宇野が同人誌を発行したのは女学校卒業後、タイトルは『海鳥』というものだった)。そして珠が執筆した作品は「やさしいアンナ」というもの。『イワンのばか』を女性版に置き換え、理不尽な環境でも文句も言わず働く母・リョウ(国仲涼子)の姿を主人公のアンナに重ね合わせ、今思うことをその小説に込めた。
結果的にこの同人誌は教員たちに没収されてしまう。教員たちは内容についてももちろん批判的であったが、女性がこのような発信をするということ自体を頭ごなしに批判されるところがこの時代をよく表している。珠たち女性が自由に発信し羽ばたけるようになるにはまだまだ先のことである。
