NHK大河【どうする家康】松潤が瀬名(有村架純)を奪還! 鵜殿長照は生き延びた説もある?
公開日
更新日
鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
大河ドラマ『どうする家康』第6回「続瀬名奪還戦」は、山田孝之さんが演じる服部半蔵(正成)率いる忍びが大活躍した上ノ郷城(愛知県蒲郡市)での戦いや、有村架純さん演じる築山殿(ドラマでは瀬名)とその子どもたちと、野間口徹さんが演じる鵜殿長照の息子との人質交換など、手に汗握る展開が繰り広げられました。
そこで今回は、上ノ郷城の戦いで壮絶な自害を遂げた鵜殿長照と、史料に残る人質交換について、ご紹介したと思います。
鵜殿長照はどのような出自をもち、人質交換はどのように行われたのでしょうか。
熊野から来た鵜殿一族
鵜殿氏は、紀伊半島の熊野地方出身の一族です。鵜殿(三重県)に住んでいたことから「鵜殿」と称し、時期は不明ですが、現在の蒲郡に移り住んだと伝わります。
熊野出身の鵜殿氏は、熊野水軍の優れた技術を伝承していたといいます(本多隆成『徳川家康の決断』)。
その鵜殿氏が本城としたのが、上ノ郷城です。
鵜殿氏は上ノ郷城以外にも、下ノ郷城、不相城、柏原城(以上、蒲郡市)などを築き、一族の者を置いて、一帯を支配していました。
長照は、宗家である上ノ郷鵜殿の当主で、上ノ郷城の城主でした。
築山殿(瀬名)は交換されなかった?
永禄5年(1562)2月、家康は忍びを使い、上ノ郷城内に火をかけさせました。城中は混乱し、長照は討ち取られ(ドラマでは自害)、長照の二人の息子・鵜殿氏長と氏次は捕虜となりました。
通説ではドラマと同様に、長照の二人の息子と、築山殿とその子・竹千代(のちの松平信康 以後、信康と表記)と亀姫(家康長女)の交換が成立したとされます。
ですが、徳川家家臣の大久保彦左衛門忠教が子孫に書き残した『三河物語』や、徳川氏創業時代の事績を記した家伝『松平記』では、このとき交換されたのは、信康だけとなっています。
家康の外孫の松平忠明が著した(真偽は不明)といわれる『当代記』には、築山殿と亀姫は家康の岡崎帰還にともない岡崎に移り、信康は人質として駿府に居住していたとあり、大河ドラマ『真田丸』で時代考証を務めた黒田基樹氏や、『どうする家康』の時代考証を行なっている柴裕之氏は、築山殿と亀姫は家康の岡崎帰還を受けて、岡崎に迎えられたとみられるとしています(黒田基樹『家康の正妻 築山殿』、柴裕之『青年家康』)。
人質交換は本当だった?
長照の父・鵜殿長持の妻は、野村萬斎さんが演じた今川義元の妹(今川氏親の娘)だとされてきました。
つまり、溝端淳平さんが演じる今川氏真と長照は、従兄弟ということになります。
その関係から人質の交換が成立したとされてきましたが、現在、長持の妻が義元の妹だというのは否定されており(本多隆成『徳川家康の決断』)、黒田基樹氏も「創作とみなされる」としています(黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院』)。
そのため、大石泰史氏は「人質交換は本当だったのかという疑問へ繋がることになる」と指摘しています(大石泰史『今川氏滅亡』)。
人質交換は本当だったのでしょうか。