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山本譲二さんに聞く、病と向き合って生きる方法。「情熱があれば大丈夫。俺はそうやって生きてきました」

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ゆうゆう編集部

2009年、右耳の聴力を失い、歌手として非常に困難な状況に陥った山本譲二さん。その10年後に大腸がんに罹患。誰もが悲観的になってしまいそうな境遇をどのように乗り切ったのでしょう。「生きる意欲が前より強くなった気がする」という山本譲二さんの心のうちを教えていただきました。

聴力をあきらめるか、歌手をあきらめるか

いつも明るくエネルギッシュに、張りのある歌声を聴かせてくれる山本譲二さん。そのイメージからは想像がつきにくいが、実はこの15年ほどの間に、たびたび病を経験してきた。最初の不調が表れたのは、2009年5月のこと。ある朝起きたら、突然、右耳が聞こえなくなっていた。

「耳に水がたまっているような感じだったので、あれ、昨日の夜お風呂に入ったとき水でも入ったのかなと思って、念のため耳鼻科に行ってみることにしたんです。外に出てみると、右を走る車の音が全然聞こえない。これはまずいなと思いました」

耳鼻科に行くと、まず中耳炎を疑われたが、改めてCTを撮るとまったく違う病状が明らかになった。
「鼓膜の奥を通る顔面神経の上に、腫瘍ができていたんです」

枝豆状の腫瘍が耳の奥の耳小骨を覆っているため、蝸牛という感覚器官に鼓膜の振動が伝わらないのだと医師からは説明を受けた。良性で、命に関わるものではないとわかったが、別の病院でMRIの検査を受けたところ、厳しい診断が下った。

「手術で腫瘍を取り除くことはできるけれど、その際には顔面神経を切断してつなぎ直す必要がある。そして、その手術を行った場合、顔面にマヒの出る可能性が高いということでした」

歌手にとって聴力は何より大事なものだ。しかし、その聴力を救うため、顔にマヒが出ることがあれば、それも致命傷となってしまう。右耳の聴力をあきらめるか、歌手であることをあきらめるか。二者択一を迫られて、山本さんは絶望しかけた。

「衝動的に、ブログに『もう俺は右の耳は捨てた、左の耳とともに生きていく』って書いてしまったんですよ。そうしたらファンの方からものすごくたくさんコメントをいただいてしまって……。『ヤケにならないで』『いいお医者さん紹介します』と書いてくださっているのを見て、ありがたく思うとともに、『ああ、いい加減なことを書いちゃいけないな』と、投げやりな言葉を使ったことを悔やみました」

ゴッドハンドといわれる名医の診断も仰いだが、結果は同じだった。「手術をしたら顔は歪みますか」と聞いたら、「歪まないという保証はできない」と言われて決意した。この耳の状態を受け入れて、病とともに歩いていこうと決めたのだ。

「『先生、これで行けるところまで行ってみます。それで本当にどうしようもなくなったときには手術をお願いします』と申し上げたんです。先生は『そのときは必ず僕が執刀します』と約束してくれました。あれから随分時間が経っていますが、今のところ現状維持で行けています」

健常者の聴力が10だとすると、今、右耳の聴力は2か3、左耳は7ぐらいだという。しかし最新曲の「睡蓮」を聴いても、とてもそのような状態での歌唱とは思えない。

「昔の歌手だったら引退ということになっていると思うのですが、今はデジタル化が進んで、聞こえるほうの耳にイヤモニ(イヤーモニター)をつければ伴奏は聞こえるんです。こういう装置があって助かりました」

ブログ内で定期的に発信している「ジョージのコトバ」。

2023年初回は、願いを込めて「一陽来復」と自ら書いた。「悪いことが続いた後は幸運に向かう」の意。

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