【どうする家康】穴山梅雪(田辺誠一)の訴え「なりませぬ、人心が離れます」を退ける武田勝頼(眞栄田郷敦)の末路は
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鷹橋 忍
穴山武田家の当主
梅雪は永禄元年(1558)に、家督を相続し、穴山武田家の当主になったと思われます。
穴山武田家は御一門衆のなかで二番目に有力でしたが、勝頼が武田家の嫡男になってからは筆頭に位置づけられたといいます(黒田基樹『武田信玄の妻、三条殿』)。
梅雪は信玄・勝頼に仕え、天正3年(1575)5月に起きた、武田軍が徳川・織田連合軍に大敗した長篠・設楽原の戦いで、橋本さとしさんが演じた武田の重臣・山県昌景が戦死すると、昌景の後任として、駿河江尻城(静岡市清水区)の城代となりました。
人心が離れた?
ドラマでは瀬名の計画を心から支持し、瀬名との約束を反故にしようとする勝頼を、「なりませぬ。人心が離れます」と必死にとめましたが、梅雪の訴えは退けられました。
このとき、梅雪の心も、同席していた古川琴音さん演じる千代の心も、勝頼から少し離れたように見えました。
岡田准一さん演じる織田信長は、武田家の一門や家臣たちに、調略の手を伸ばしていたといいます。
二人はこのまま、勝頼に仕え続けるのでしょうか。
鷹橋忍の「大河ドラマの時間」
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