【どうする家康】穴山梅雪(田辺誠一)の訴え「なりませぬ、人心が離れます」を退ける武田勝頼(眞栄田郷敦)の末路は
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鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
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大河ドラマ『どうする家康』第24回「築山へ集え!」では、有村架純さん演じる瀬名(築山殿)の壮大な計画が明らかになりました。
「滅敬」という唐人の医者に扮した田辺誠一さんが演じる武田家臣の穴山梅雪(信君)も、すっかり引き込まれていましたね。
今回は、その滅敬と穴山梅雪について、ご紹介したいと思います。
なお、出家して「梅雪」と号するのは、天正8年(1580)のこととされますが、穴山梅雪の名で知られているので、ここでは梅雪と表記します。
まずは、滅敬からみていきましょう。
滅敬とは
滅敬は「減敬」とも書きます。
徳川氏創業の事件を記した『松平記』には、「筑山殿(築山殿)も後にハ『めつけい』と申す唐人(中国人)の医者を近付け、不行儀の由沙汰有」との記述があります。
作者未詳とも岡部大さん演じる平岩親吉が慶長15年(1610)に著したともいわれる『三河後風土記』にも唐人の医師として登場し、築山殿と密通します。
ドラマではこの正体不明の滅敬を、穴山梅雪の変装として描いたと思われます。
母は信玄の姉、妻は信玄の娘
穴山梅雪は、天文10年(1541)に生まれました。
天文11年(1542)生まれの家康より、一歳年上です。
天文15年(1546)生まれの武田勝頼より、五歳年上となります。
父親は武田家の有力御一門衆(穴山武田家)である穴山信友、母親は、阿部寛さんが演じた武田信玄の姉・南松院殿です。
妻には、武田信玄の嫡女・見性院殿(勝頼の異母姉とされる)を迎えています。
つまり梅雪は、信玄の姉を母に、娘を妻にしているのです。
穴山武田家が、重要視されていたことがうかがえます。