【どうする家康】阿茶局(松本若菜)は、家康が駿府にいたころ、好意を抱いていた女性だった?
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鷹橋 忍
徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。
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【どうする家康】徳川十六将の一人 大久保忠世(小手伸也)は、家康だけでなく信長からも賞賛されていた
大河ドラマ『どうする家康』第38回「唐入り」では、北川景子さんが演じる茶々と、松本若菜さんが演じる、家康の別妻・阿茶局の対決が、話題になりました。
そこで今回は、阿茶局を取り上げたいと思います。
父親は甲斐武田家の家臣
阿茶局は、弘治元年(1555)に、生まれたとされます(斎木一馬・岩沢愿彦・戸原純一・校訂『徳川諸家系譜』第2など)。
天文11年(1542)生まれの家康より、13歳年下となります。
父親は、甲斐武田家の家臣であった飯田直政です。
阿茶局は、名を須和(すわ)といいます(ここでは、阿茶局で統一)。
若くして夫と死別
阿茶局は、駿河今川家の家臣で、のちに武田家に仕えた神尾忠重と結婚しました。
神尾忠重は、『寛政重修諸家譜』巻第千四十三 神尾忠重の条では、「一条右衛門大夫信龍に仕えた」と記されています。一条右衛門大夫信龍(一条信龍)とは、阿部寛さんが演じた武田信玄の異母弟です。
二人の間には子どもが誕生しましたが、夫・神尾忠重は、天正5年(1577)に亡くなってしまいます。
神尾忠重の没年に関しては諸説ありますが、天正5年として計算すると、阿茶局が夫と死別したのは、数えで23歳のときのこととなります。
家康との出会いは?
寡婦となった阿茶局は、天正7年(1579)5月、家康に召し出され、「阿茶局」と名を改めたといいます(「幕府祚胤伝」高柳金芳校注『史料徳川夫人伝』所収)。
「柳営婦女伝系」(高柳金芳校注『史料徳川夫人伝』所収)には、もう少し具体的なエピソードが記されています。
まず、「柳営婦女伝系」では、夫・神尾忠重の没年を永禄3年(1560)としています。
天正10年(1582)、武田家が滅び、本能寺の変が勃発したのち、家康は甲州に進軍しました。
このとき阿茶局は黒駒(山梨県笛吹市)において、幼子を携え、家康に歎訴しましたといいます。
実は、阿茶局は家康が駿府にいたころに、好意を抱いていた女性でした。
家康は、母子ともども召し抱えたといいます。
阿茶局と神尾忠重の子・神尾守世は、二代将軍となる徳川秀忠に仕えました。
戦場にも在陣?
ドラマでも描かれているように、阿茶局は奥向きの仕事だけでなく、戦場にも供奉したといいます。
ネタバレになってしまうので詳しくは書きませんが、大坂の陣での活躍は有名です。
阿茶局と家康の間に、子どもが誕生したという記録はありません。
「幕府祚胤伝」には、天正12年(1584)に起きた小牧・長久手合戦に在陣した際に、懐妊しましたが、戦場で流産したことが記されています。