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【どうする家康】徳川四天王がドラマから姿を消す。四天王の子孫はどこの城主になった?

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鷹橋 忍

榊原康政の孫は姫路城の城主に

榊原康政は慶長11年(1606)、居城の館林城(群馬県館林市)で、亡くなりました。享年59です。

長男の榊原忠政は外祖父の大須賀康高の養子となっており、二男の榊原忠長は、父・康政よりも先に死去していたため、三男の榊原康勝が跡を継ぎました。
ところが、康勝は元和元年(1615)に、実子のないまま、26歳で病死してしまいます。

そこで、大須賀家を継いだ榊原忠政の子・忠次(1605~1665)が榊原家を継ぎ、十万石の遺領を与えられました。

榊原忠次は慶安2年(1649)に、播磨国姫路城(兵庫県姫路市)を授かり十五万石を領し、姫路城の城主となっています。

本多忠勝の孫は千姫の夫

本多忠勝は慶長15年(1610)、伊勢国桑名城(三重県桑名市)で死去しました。享年63です。

忠勝の嫡男・本多忠政(1575~1631)の妻は、細田佳央太さんが演じた家康の息子・松平信康と、久保史緒里さんが演じた五徳の娘です。

つまり、家康は忠勝の息子に、孫娘を嫁がせているわけです。

そして、本多忠政の長男・本多忠刻(1596~1626)も、家康の孫である原菜乃華さんが演じる千姫と結婚したことで知られます。

千姫は、森崎ウィンさんが演じる二代将軍・徳川秀忠の娘です。

ドラマでも描かれたように、作間龍斗さんが演じる豊臣秀頼の正妻となりましたが、徳川家に戻り、忠勝の孫と結婚したのです。

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