【西村知美さん】「1度だけ叱られたことがありました」伝説のマラソントレーナーとの過去明かす【坂本雄次さん・天国ゆきのラブレター】
”不妊”というプライベートまで相談する仲に
実は30歳前後のころ、不妊治療をしてまして、それでもなかなか子宝に恵まれなかった時にちょうどマラソンのお仕事の依頼があったんですね。それで自分の優先順位を1番がお仕事、2番が家庭、3番が不妊治療という風に変えた時でもありました。
そういった話も坂本先生や節子ママには相談していたので、マラソンの練習中の体のメンテナンスはもちろん、不妊に良いとされる針治療なんかも連れていってくださったのを覚えています。
それが功を奏したのか、マラソンのお仕事が終わりそのあと続いた舞台のお仕事も終わって、ふっと一息ついたときに、自然に娘を宿すことができたんですね。この時は坂本先生も節子ママも本当の両親のように喜んでくださって。
無事出産した際は、坂本先生が病院まで駆けつけて、娘を抱いてくださりました。
2018年の金婚式がいい思いでです。
地方のマラソンイベントにスターターのお仕事で呼んでいただくことも多く、お2人とは一緒に京都や北海道、いろいろな場所でご一緒させていただきました。
ですが、年を経ていくにつれ坂本先生も手術をされたり、節子さんも大きな病気をされて生死をさまようようなことがあったので、心配することも増えていきました。
ですが、お2人ともなんとか乗り越えられて、2018年には仲良しのご家庭と一緒に企画した金婚式では、楽しくお食事もできて非常に楽しく過ごせたのがいい思いでです。
今でも信じられない節子ママとの最後
2020年頃からはコロナ禍というのもあって、なかなか頻繁にお2人とは会うことができなくなっていました。
それでもたまに娘を連れてご自宅へうかがうと、北斗晶さんが送ってくださったお花がすごくきれいに活けてあったり、はるな愛ちゃんがご飯食べにきたよー!という感じでお話を聞いたり、と、いろんな方がお2人を本当の家族のように慕っていたことを感じることが多かったですね。
そんな中、節子ママはご病気のことを私にはあまり話さず、また坂本先生も看病生活が大変だったろうに微塵もそんな雰囲気は出さず、むしろそのお世話を楽しんでやっているようなところがありました。
最後に節子ママにお会いできたのが、2023年12月。久々にご挨拶にうかがった時でしたが、その際も看病や介護をする中で坂本先生が上達した料理の腕を披露してくださって。でもそれが最後になってしまったというのが今でも信じられません。
若い方にこそ読んでいただきたい『天国ゆきのラブレター』
今回、出版された坂本先生の著書ですが、私はぜひ今の時代の若い方に読んでいただきたいと思っています。
この哲学的な文面や愛についての深い考察が本当に10代や20代前半の男女のやりとりなのか!とびっくりするくらいなのですが、今のようにすぐスマホで連絡を取り合えない時代、さらに坂本先生と節子ママは遠距離恋愛でもあったからこそ、こんなストレートな言葉のやりとりができたのでしょう。
このお2人の思いを託した言葉の数々こそ、今の時代非常に貴重なものなんじゃないかなと思い、ぜひ私の大学3年の娘にもすすめたいと思っています。
坂本先生が節子さん宛にしたためたお手紙に「愛するとはいかにして生きるかを知ること。生きるとはいかにして愛するかを知ること」というものがあり、10代の時にこんな言葉なかなか書けないと思うのです。本当にドラマのようなお2人の言葉、そして結ばれるべくして結ばれたお2人の物語ですよね。
若い方には新鮮にうつるでしょうし、もちろん高齢の方には自分の過去と照らし合わせて思いをはせていただくこともできる本になっているので、ぜひ多くの方に手に取っていただきたいです。

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