【西村知美さん】「1度だけ叱られたことがありました」伝説のマラソントレーナーとの過去明かす【坂本雄次さん・天国ゆきのラブレター】
2025年1月にマラソントレーナー坂本雄次さんが亡き奥様との61年間をつづった『天国ゆきのラブレター』を刊行しました。坂本夫妻にとって娘のような存在だった俳優でタレントの西村知美さんに、坂本夫妻との心温まるエピソードを教えていただきました。
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身体だけではなく、心もメンテナンスしてくださいました
坂本先生とはじめてお会いしたのは、皆さんと同様私もマラソンのお仕事でした。2002年なので31歳の時かな。
もともと私走るのがすごく苦手で、最初は500メートル走るだけでもぜぇぜぇしていたんですよね。でも坂本先生は体のメンテナンスはもちろん、食事や精神面までサポートしてくださいました。
優しい坂本先生がただ1回だけ本気で怒った「ルール破り」
マラソンの練習について、私のお願いが「毎日走るルートを変えること」でした。私飽き性なんですよね、同じ景色の場所を走るというのが精神的に参ってしまうところがありまして、「距離感がわからない、先が読めない、景色が変わる」そんなルートのご用意をしてくださるようお願いをしました。
きっとこれもご迷惑をかけたんだろうなと思うのですが、なるべく私が前向きに取り組めるよう尽力してくださいました。
でもそんな優しく、他人思いな坂本先生に1回だけ本気で怒られたことがありまして。
それまで先生が口すっぱく言っていた「調子にのってペースをあげすぎてはいけない」というルールを私が破ってしまって、マラソン本番中の前半にかなりペースを上げて走ってしまいました。休憩の際、『そんなにいい気分になって走ってはいけない!』と坂本先生に厳しく詰められて、現場で号泣…。実際、そのあと本当に膝にきてしまって足をかばいながらの走行となってしまいました。
でも坂本先生は、私をゴールさせるためにこういう助言をくれたんだと思い直し、必死にゴールを目指したことを覚えています。
人生観の変わる「マラソン」という競技
本当にゴール目前では意識がもうろうとしていて、沿道のお客さんからの声援やスタジオからの声援いろんな声の中で私が唯一坂本先生の声だけが頼りでした。そしてゴールテープを切る直前に肩をかしてくださった方がいらっしゃって、薄れゆく意識の中で「誰かわからない人だけど、ありがとう…」と思っていたんですね。
ところが翌日の新聞を見て、びっくり!なんと私の肩を最後支えていてくれたのは、夫の西尾拓美でした(笑)。私はもう坂本先生しか目にも耳にも入ってない状態ですし、本当に番組のスタッフさんくらいで思っていたので、まさか夫だとは思わず…。
そのくらい体も心も普通ではない境地に達するのがマラソンで、私の人生観も変えてくれた経験と言って過言ではありません。そしてその経験に常に寄り添って伴走してくださっていたのが、坂本先生と奥様の節子ママでした。
奥様の節子さんは、いつも坂本先生の隣でニコニコと優しい笑顔で見守ってくださっていましたね。本当にみんなのお母さんみたいな印象が強いです。
前に出てこず、後ろから支えてくださるようなそんな存在でした。
お2人は、とにかく「せっちゃん・ゆうちゃん」という感じで、すごく仲良し夫婦でしたね。年上女房というお話はうかがっていたのですが、坂本先生がぐいぐい引っ張る形で節子さんがそれに身をゆだねているような。