私のターニングポイント
91歳・現役ヘアメイクアップアーティスト「老後資金は1,000万円だけ残し、あとは人のために使っちゃいました」【カオリ・ナラ・ターナーさんのターニングポイント#1】
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佐藤望美
人生を振り返り、「あのときが分かれ道だった」と思う瞬間は誰しもあります。今回はヘアメイクアップアーティストのカオリ・ナラ・ターナーさんのターニングポイントをご紹介。91歳で今もなお現役を続けるカオリさん、そのキャリアのきっかけとは?
プロダンサーとして活躍中、出会って2週間でアメリカ人と電撃結婚
―カオリさんは1933年、東京生まれ。メイクアップ・アーティストになる前はプロダンサーとして活躍されていたそうですね。
12歳でプロデビューしました。幼少期から日本舞踊やタップダンスを習っていたのです。進駐軍慰問団に参加し、浅草の新世界でトップダンサーになったあとは日本文化使節団の一員に。世界中を旅しましたが、私の運命を変えたのは香港公演。私のステージを見に来たアカデミー賞メイクアップ・アーティストのビル・ターナーに、結婚を申し込まれたのです。その仲人を務めてくれたのが、ビルがメイクを担当していた俳優スティーブ・マックイーンでした。
―電撃結婚ですね!ダンサーの仕事はしばらく続けていた?
それが結婚の条件でした。私はラスベガスでショー、彼はロサンゼルスで仕事。だから、会うのは週末だけのウィークエンド亭主ですね。でも公演中の怪我が原因で、ダンサーを引退。私の性格上ネガティブになったり、落ち込んだりすることはあまりないのですが、このときばかりは失意の日々でした。ダンスが生き甲斐だったから。
「メイクできる?」と聞かれ、ヘルプで始めたことがきっかけに
―気晴らしに、とご主人が海外ロケに連れ出してくれたことで、メイクに携わるようになったのですね。
そうなんです。ダンサーは自分でメイクをするから慣れていました。海外ロケは人手不足になることが多く、「手伝って」と言われてボディメイクをするようになり、いつの間にかのめり込んでフェイスメイクも勉強。41歳のとき、第二の人生が始まったのです。
―その後は数々の名作映画、人気テレビドラマの制作に携わりました。大勢のハリウッドスターから指名が来ていたとか!
映画『フラッシュダンス』にはボディメイクとして参加しました。よく指名を受けていたのはジュリー・アンドリュース、バート・レイノルズ、ルーシー・リュー、キャリスタ・フロックハートなどなど…。キム・ベイシンガーとは特に親しく、日本を一緒に旅行したこともありました。
91歳の今も、必要があれば喜んでオファーを受けます!
アメリカはメイクアップ・アーティストのユニオン(労働組合)がしっかりしているので、がんばった分だけしっかり報酬も支払われます。残業代や食事提供も規定通り。
今はユニオンから「年金」をもらっていますが、完全に引退したわけではないんです。「アクティビティ・イン・リタイアメント」と言って、依頼があれば引き受けてもいいような立場。昔馴染みの俳優さんがトークショーに出たり、アワードのプレゼンターを務めるときには時々オファーをいただいています。
もちろん、拘束期間の長い映画はお断りです。「朝4時集合!」というようなスケジュールは、もう体力的に無理よね(笑)。
