私のターニングポイント
91歳・現役ヘアメイクアップアーティスト「老後資金は1,000万円だけ残し、あとは人のために使っちゃいました」【カオリ・ナラ・ターナーさんのターニングポイント#1】
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佐藤望美
お金は人のために使うもの。なくなれば生活の質を落とせばいい
―今でも現役なんて、本当に頭が下がります。カオリさんにとって働くこと、そしてお金とはいったい何ですか?
家でじっとしているより、働いているほうが何倍も楽しいの。いろいろな人に会えるし、刺激になります。70代でもまだハリウッドで映画やテレビの仕事を普通にこなしていました。昔は3日以上休みを取ったことはなかったですね。撮影中の映画がまだ終わらないうちから、次の仕事を自分で取って来ていました。
お金はもちろん大事だけれど、たくさんあればいいというものでもないかな。自分のお金で人を喜ばせることができるなら、どんどん使います。今までの稼いだお金で、残したのは自分のために1,000万円だけ。あとはみんな使っちゃったの(笑)。姪の子どもや孫にプレゼントしたりして。以前はアメリカの自宅に居候が何人もいて、いつも何か食べさせてあげていましたね。家賃を払って、あれこれ支払いをしてごはんまで食べさせていたら、お金はほとんど残らないのよ(笑)。
でもお金がなくなれば、自分の暮らしのレベルを少し落とせばいい。それだけまた働けばいい。そう思っているの。植物が水をもらって生き返るように、自分の人生も新しい水を注げばまた育つはず。いつも考えているのは、お金を追うのではなく、お金に追われるような生活をすること。人のために使っていれば、自然とお金は循環してまた戻ってくる気がします。
もちろん、お金に困ったことが一度もないなんてことはありません。夫が亡くなった後に多額の税金を払わねばならず、銀行にお金を借りたことも…。それを返すために必死で働きました。死に物狂い、とはまさにこういうことを言うんだと思ったくらい。
じつはテレビドラマの仕事は、銀行への借金を返済するために始めました。その努力が報われてエミー賞を受賞することになるのだから、人生何が起こるかわかりませんね(笑)。
カオリ・ナラ・ターナーさんのターニングポイント①
「怪我がきっかけで、ダンサーからメイクアップ・アーティストに転身。急に訪れたチャンスに自然体で飛び込み、メイクの世界にのめり込んでいきました。稼いだお金を人のために使うことで、仕事も暮らしもいい方向に向かったのだと信じています」
PROFILE/カオリ・ナラ・ターナー
1933年東京生まれ。幼少から日本舞踊やタップダンスを始め、戦後は進駐軍慰問団にて活躍。24歳で浅草新世界のトップスターとなり、日本文化使節団として世界公演に。怪我でダンサーを引退してからメイクの世界に入り、1978年にハリウッド・メイクアップユニオン正式メンバーとなる。出世作『フラッシュダンス』ほか、『バット・マンリターンズ』『チャーリーズエンジェル』『キル・ビル』『アリーmyラブ』などを手がけ、『エイリアス』で日本人初となるエミー賞を受賞。現在は滋慶学園グループで講師を務めるほか、プロ専用コスメブランド「スターオブザカラー」(https://star-color.jp/)、ファッションウィッグのプロデュースも行う。
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