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62歳とは思えないビジュアル!【松村雄基さんのターニングポイント#2】50代になって初めて向き合った“自らのコンプレックス”とは?

1980年代にドラマ「不良少女とよばれて」「スクール☆ウォーズ」で一世を風靡し、俳優として40年以上のキャリアを重ねてきた松村雄基さん。舞台に立ち続ける一方で、30代からは書道、50代からはシャンソンにも挑戦しているといいます。書道やシャンソンが人生にもたらしてくれたものとは?

▼前編はこちら▼

>>80年代ドラマの「不良役」で一世風靡。もう役者なんて嫌だ!その時にかけられたまさかの言葉【松村雄基さんのターニングポイント#1】

プロフィール
松村雄基さん 俳優、歌手、書家

まつむら・ゆうき●1963年、東京都生まれ。
80年、ドラマ「生徒諸君!」で俳優デビュー。
84年に、ドラマ「不良少女とよばれて」に出演し、以降、「スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争~」「乳姉妹」「ポニーテールはふり向かない」など、数多くのドラマに出演。
現在は、舞台を中心に活躍中。
書家としても活動し、第17回東京書作展にて内閣総理大臣賞を受賞。

悔しさから始まった書の道

舞台『わが歌ブギウギ-笠置シヅ子物語-』の開幕を控える、俳優・松村雄基さん。ドラマ「不良少女とよばれて」「スクール☆ウォーズ」などで演じた不良役で一世を風靡し、長らく映像の世界で活躍していた松村さんが、活動の場を舞台へと広げたのは30歳のとき。その頃、松村さんにはもう一つの大きな出会いがあった。

「30歳のとき、偶然手にした大溪洗耳(おおたにせんじ)さんという書家の方の著書『戦後日本の書をダメにした七人 続 くたばれ日展』を読んで、衝撃を受けたんです。書家の大家が、日展(国内最大規模の美術公募展)にケンカを売っている––––。本の内容もおもしろくて、これはぜひ著者の方にお会いしたいと思い、教室を訪ねました」

大渓氏と会うことはかなわなかったが、後に松村さんの師となる五月女紫映(さおとめ しえい)さんが出迎えてくれた。

「体験で書を書いてみたら、これがまったく思い通りに行かなくて。小さい頃から、一緒に住んでいた祖母に字の書き方については厳しく教えられてきたし、高校生のときには書道の授業もとっていたのに。あまりの悔しさに、『入会します!』と口走ったことが、僕の書の道の始まりです」

松村さんにとって、書は単なる趣味ではなく、自分の血肉になっているものだという。そして、書と演技はつながっている、とも。

「大渓先生の師である田邊萬平先生の『書について』というご著書に、こんな言葉がありました。『個性というものは無我夢中になったときこそ出るものであって、出そうと思って出るものではない』。『こうしよう、ああしよう』と頭で考えているうちは、誰かの心を動かすことはできない。無我夢中で、何もかもを忘れて没頭しているときにこそ、その人自身がにじみ出てくると。これは書道だけでなく、役者業においてもそうだと思います」

舞台に立つときは“三人の自分”を意識して

しかし、ただ夢中になるだけでは独りよがりの表現に陥ってしまう。そこで必要になるのが、もう一人の自分、全体を冷静に見つめる客観的な視点だ。

「役者の先輩には、『舞台に立つときは、役を演じている自分、それを客席から見ている自分、そして全体を俯瞰で見ている自分、三人の自分で居なさい』と教わりました。

能でよく『離見(りけん)の見(けん)』という言葉を聞きますが、離れたところから自分を見る意識を持たないと、お客さんには何も伝わらない。たとえば泣く演技をしていても、そこに客観性がなければ単に自分が気持ちいいだけで、お客さんは引いてしまうんです。

書も同じで、『あぁ、気持ちよく書けた』と思うんだけど、少し離れて見てみると、『なんてちまちました字なんだ……』と愕然とすることがあるんですよね。無我夢中になる情熱と、全体を見渡す冷静さ。その両方がなければいけないんだということは、書もお芝居も共通しているような気がします」

ちなみにもうひとつ、書と芝居にはこんな共通点があるそうで……。

「どちらも苦しいんです。だって、自分が見えちゃうんですもん(笑)。書いたものには自分の心の狭さや迷いが出てしまうし、お芝居もそう。いまだに自分の演技を映像で見て、がっかりすることがよくあるんですよ」

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