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【高島礼子さん】パーキンソン病の父を13年間、介護。高島さんを救った俳優・戸田恵子さんの言葉とは?[ターニングポイント#2]

高島礼子さんの転機となった50代初めは、一方で父の介護がスタートした時期でもありました。しかし、行動する勇気を知った高島さんは、一人で抱え込まずに周囲に助けを借りる方法を取ります。予想以上に多くの人が情報や知恵を授けてくれ、おかげで13年間の介護生活を乗り切ることができたと話す高島さん。ますます前向きにエネルギッシュに、そしてしなやかに挑戦を続ける高島さんは、どんな未来を夢見ているのでしょう。

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>>【高島礼子さん】52歳で離婚後、友達のいない自分に愕然…。一歩足を踏み出したら世界が広がり、今は一人焼肉もへっちゃらです[ターニングポイント#1]

チャンスに乗って未知の芸能界へ

芸能界に入ったのは、本当にひょんなきっかけだった。高校を卒業後、自動車好きが高じて横浜市内の自動車関連会社に就職、3年間OLとして働きながら、アマチュアレーサーとして活動していたが、レース資金を稼ぐために、会社を辞めてレースクイーンをやったり、モデルの仕事をしたり……ということを始めていた。88年、あるコマーシャルに出演したところ、その映像を見ていた俳優の松平健さんの目に留まり、いきなり「暴れん坊将軍Ⅲ」への抜擢となったのだ。

「思えば、これこそ最初の大きなターニングポイントでした。劇団やさまざまな場所で修業を積んだ方には本当に申し訳ないほど、自分の努力もなくそんな大きな作品に関わることになってしまいました。ましてや、当時の私は芸能界に全く興味がありませんでした。でも若気の至りと申しますか、『暴れん坊将軍』だと伺って、「面白そう、やってみたい」という興味だけで飛び込んでしまいました。自分の努力とかが全く関係のないところで、こうしたチャンスが巡ってくることがあるのだなと、今振り返ってみると感じるんです」

いきなりの芸能界デビューで、しかもいきなりの時代劇。最初の現場が京都・太秦の撮影所というなかなかハードなスタートでもあった。

「皆さん、『太秦ですから苦労されたんじゃないですか?」とよく言ってくださるんです。たぶん苦労はしたと思うんですけど、それがデビューでしたから、『俳優というお仕事は、皆さんこうして経験を積んで頑張ってこられたんだな。本当に俳優さんはすごいな』と素直に受け止めて、誰もが通る道なのだと思っていたので、苦労とも思わなかったんですよね。また、それを支えてくださる方もたくさんいらっしゃいました。本当にありがたいことだったと思います。『やってみたい』という気持ちだけで、全く何も考えずに遠慮なく飛び込んだことが転機となったのかもしれません」

自動車が好きで、レースを楽しんでいたOLが、ある日突然、俳優の道を歩くことになった。それはきっと、世界が180度変わってしまうような出来事だったに違いない。しかし、いつもがいつも順風満帆だったわけではない。仕事がなかなか来なくなってしまったときは、当時、新人でありながら、マネージャーさんに時間を作ってもらい、「私に仕事をください」と頼み込んだ。

「行動しないといけないということは、きっとその頃からわかっていたのでしょうね。もちろんこちらが動いたことが100%成就することばかりではなくて、突然向こうから声をかけていただくご縁もありましたから、一概には言えません。ただ、一つだけ言えるのは、『グジグジ言っていても、仕方がない』ということ。先に行きたいのだったら、開けたい扉を叩く。とにかく行動する。そうして歩んできた結果、気がつけば、いろんな方々にかわいがっていただけるようになりました」

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