「55歳まで崖っぷちでした」100万部を超える作家が売れない時代も書き続けられた母の言葉とは?
悩んだり、迷ったり、くじけそうになったとき、誰かの言葉で前向きになれた経験はありませんか? ここでは各界で長年活躍する著名人に、前を向く力をもらった大切な言葉を伺いました。今回は、作家の山口恵以子さんです。
▼榊原郁恵さんを支えた言葉▼
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「エコちゃんは『20歳のときより50歳になってからのほうが評価される仕事に就きたい』って言っていたから、小説の仕事は合っているわね」
50代になり、食堂で働きながら小説家を志していた頃、今は亡き母がふと口にした言葉を今でも思い出す。
「自分ではそんなことを言った記憶もなかったのに、母が大切に覚えていてくれたことが嬉しくて。言葉って、時を超えて、思いがけない力をくれるものですね」
今や、「食堂のおばちゃん」「婚活食堂」「ゆうれい居酒屋」などの大人気シリーズが累計100万部を超える作家の山口恵以子さんだが、55歳のときに『月下上海』で松本清張賞を受賞するまで「人生、ずっと崖っぷちでした」と言う。
幼い頃から物語を紡ぐのが好きで、漫画家、脚本家、そして小説家と少しずつ形を変えながらも、「書いて生きていく」という夢をもち続けてきた山口さん。その崖っぷち人生を常に応援してくれたのが母だった。
「漫画の絵を編集者に酷評されたときも、『あなたの才能をわからないなんて、バカだ』って。親バカを通り越してバカ親ですよね(笑)」
山口さん自身の心が折れそうになったときはこんな言葉をくれた。
「あなたが自分で才能がないと思ってあきらめるならかまわない。でも、誰さんは出世したとか、誰さんは結婚したとか、人と比べてあきらめるのなら、きっと後悔しますよ」
かつて声楽家を志しながら喉の不調で夢を断念した母。娘を手放しで応援してくれたのも、そんな経験があったからなのかもしれない。
「世間並みに働きなさいと諭すお利口さんの母ではなく、おバカな母だったおかげで、55歳まで夢をあきらめずに書くことができました」
「他人と比べてあきらめるのはやめたほうがいい」
「書いて生きていく」という夢をもちながらも、就職、結婚といった着実な人生を歩まなくていいのかと迷っていたときの母の言葉。世間体を気にせず、応援し続けてくれた母。今も全力で夢に向かって努力する原動力に。