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朝ドラ【おむすび】を振り返る。「本当は物語を純粋に楽しみたい。それだけなのである」

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田幸和歌子

「おむすび」は、あまり力をこめず、ふんわり握ったほうがおいしい

それぞれの出来事にまつわるエピソードが掘り下げきれずに「結ちゃんのおかげ」「さすが結ちゃん」と、昭和のころからなかばネタ化していじられたりするような、典型的朝ドラヒロイン的属性によって、あっさり解決してしまった。リリー・フランキーの語りで「それから●年がたち」と、時代をスキップさせることで次のターンに移行することが多いドラマとなってしまったことで「薄い」「浅い」といった視聴者からの批判的感想も生まれることにつながってしまったのは仕方ないことだろう。

コロナ禍も、実際にはいったん収束したかと思ってからの、第2波、第3波と、出口の見えない戦いがすべて省略されてしまったことにも驚いた。

そして、食べることで「結ぶ」というコンセプトとコロナ禍を自然に(?)結ぶためにか、ヒロインを病院勤務の管理栄養士とした「病院編」は、「NST」という栄養サポートチームの存在をはじめ、病気や健康、医療に関するさまざまな取材成果、知識が盛り込まれたが、これも取材成果の「説明」のような描写、演出が多く感じられ、取材はしているだろうものの、物語に咀嚼したうえでの組み込みかたが難しそうだった印象も受けた。

さまざまな患者の容態や抱える思いなどと向き合い解決するのはいいのだが、看護師のような立居振る舞いに見える場面も多く、管理栄養士という設定が逆に無理を生じさせているように見える演出も多々感じられ、しかも、病院編で結が向き合った患者のほとんどが「食欲不振」であり、ちゃんと食べてもらうにはどうすればいいのか→喉に通りやすいプリンやゼリーはどうか、ふりかけや梅干しをつけよう、そんなことの繰り返しも気になり、食と医療の二本立てで考えそれを「結び」つける難しさを感じた。

「おむすび」第124回より(C)NHK

盛り込む要素の多さ、そしてそれを「結び」つけていく大変さ、それはとてもわかる。しかし、そういう事情を汲み取って「大変なんだろうなぁ」など気にすることもなく、本当は物語を純粋に楽しみたい。それだけなのである。

困った人がいたら放っておけない性格だという「米田家の呪い」も話題を集めた。その「呪い」ありきでエピソードが進むためか、思考回路や行動原理が飛躍ぎみになってしまうことも多く、共感しづらい場面も少なくなかった。米田家の一員ではあるものの、「呪い」のDNAは受け継いでいない翔也(佐野勇斗)が巻き込まれているというか、数少ない常識人のように見えて仕方なかった(娘の花も、成長によって、母親によく似た圧強めの前向きの押し売りキャラになっていた……)。

「おむすび」第125回より(C)NHK

個人的には、この翔也をはじめ、ルーリー(みりちゃむ)、ナベべ(緒方直人)、モリモリ(小手伸也)など、登場することで空気が明るくなりそうなキャラクターは大切な存在だった。

あまりにも多すぎる要素のため、ギュッと力をこめなければ「結べ」なかった部分はきっとあるだろう。しかし、「おむすび」は、あまり力をこめず、ふんわり握ったほうが、おいしいとされることが多い。そんなふうにふんわりにぎった「おむすび」として、続編やスピンオフでもいいので、あらためて我々視聴者と「結んで」もらいたい。

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