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【べらぼう】蔦重(横浜流星)ら吉原の人々が大盛り上がりの「吉原俄」とは?

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鷹橋 忍

【べらぼう】蔦重(横浜流星)ら吉原の人々が大盛り上がりの「吉原俄」とは?

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第12回より ©️NHK

横浜流星さんが主人公・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/蔦重)を演じる、2025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめものがたり)〜」。当時の文化や時代背景、登場人物について、戦国武将や城、水軍などに詳しい作家・鷹橋 忍さんが深掘りし、ドラマを見るのがもっと楽しくなるような記事を隔週でお届けします。今回は、吉原俄(にわか)を中心に取り上げます。

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NHK大河ドラマ『べらぼう』第11回「富本、仁義の馬面」と第12回「俄なる『明月余情(めいげつよじょう)』」が放送されました。ここでは、両方の回で話題に上がっていた「吉原俄」と、それに関わっていた人物について取り上げます。

吉原俄とは?

吉原俄は、春の花見(桜)、夏の玉菊灯籠(たまぎくどうろう)と並ぶ吉原三大イベントの一つです。大門(おおもん)から伸びる吉原のメインストリート・仲の町において、吉原芸者を中心に女郎屋や引手茶屋などの人間が、踊りや寸劇などを繰り広げました。

明和4年(1767)に年中行事の一つとして開催されるようになりましたが、ドラマの第1回「ありがた山の寒がらす」の冒頭で描かれた明和9年(1772)の大火により中断し、安永4年(1775)に復活したといいます(鈴木俊幸『「蔦重版」の世界 江戸庶民は何に熱狂したか』)。

吉原俄は旧暦8月1日(新暦9月中旬)から30日間(青天の日のみ)、さまざまに趣向を変えて盛大に開催され、大勢の見物客で賑わいました。女性の見物客も多く詰めかけたといいます。

一部の禿(かむろ/女郎の見習いの少女)は祭りに参加していたようですが、女郎たちはお客を相手に仕事をこなしていました(田中優子『遊廓と日本人』)。

吉原俄は明治に入っても続いていましたが、関東大震災以降、衰滅したといいます(平凡社『平凡社大百科事典 11』)。

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第12回より ©️NHK

宝暦(ほうれき)年中の色男・平沢常富(つねまさ)

ドラマでも描かれたように、蔦重は安永6年(1777)8月に行なわれた吉原俄に際して、三編三冊の絵本形式の番付(誰による、どのような出し物が行なわれるかという情報を記載した刷り物)『明月余情』を発行しています。その『明月余情』に序文を寄せたのが、尾美としのりさんが演じる平沢常富です。

平沢常富は享保20年(1735)、幕府寄合衆の家士・西村家の西村平六久義の三男として江戸で生まれました。寛延3年(1750)生まれの蔦重より15歳年上となります。

寛延元年(1748)、14歳で秋田藩江戸詰の平沢常房の養子となり、秋田藩士として出世コースを歩んでいきます。平沢常富は天明4年(1784)50歳で留守居役(るすいやく)筆頭に就任しました。

留守居役は江戸の藩邸に住み、幕府や諸藩との折衝や情報収集などを担う、いわば藩の外交官です。平沢常富はその筆頭なのですから重職です。その一方で、二十代の頃から職能を活かして吉原で社交を重ね、「宝暦年中の色男」を自称し、吉原遊びを謳歌していたようです。

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