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【中森明菜さん】の「少女A」歌唱ストーリー:涙を流した猛反発から堂々と歌い切るまでの軌跡

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濱口英樹

ゆうゆう世代に大人気の中森明菜さん。4月19日、20日に大分市の野外フェスのステージに登場して話題です! デビューから10年間在籍したワーナーミュージックが展開している「全アルバム復刻シリーズ」をベースに、明菜さんが時代を象徴するスターへと駆け上がっていく初期3年間にリリースした楽曲に関する、とっておきのエピソードをご紹介します。3回に分けてお届けする第1回。
(写真提供:ワーナーミュージック・ジャパン)

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「今まで公にしていなかった明菜の楽曲制作に関する話がたくさんある。本人とのやり取りも含めて記録として残しておきたい」。

明菜さんの初代ディレクター・島田雄三氏から連絡をいただいたのは2021年11月のことでした。そのご意向を受けて、出版されたのが『オマージュ〈賛歌〉to 中森明菜』(シンコーミュージック・エンタテイメント刊)です。

同書では島田氏以外にも、初期作品の制作に関わった作詞家、作曲家、編曲家、エンジニアの皆さんへのインタビューを敢行。いずれも日本の音楽シーンをリードしてきたレジェンドたちで、今も歌い継がれている作品がいかにして生まれたかが当事者の証言によって明らかにされています。ここからは書籍の内容に基づき、デビュー曲「スローモーション」(1982年5月)から順を追って、ヒット曲誕生の舞台裏をお話しいたしましょう。

デビュー曲『スローモーション』

明菜さんがオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)でスカウトされたのは1981年11月。そこからデビューまでは半年も時間がありませんでした。担当になった島田氏は大急ぎで楽曲の制作に取りかかりますが、ヒットメーカーと言われる作詞家や作曲家は、明菜さんより一足早く、3月から4月にかけてデビューした他のアイドル(今でいう“花の82年組”)のプロジェクトに携わっていたため、ことごとくオファーを断られます。

そんな折、テレビで目にしたのが「夢の途中」を歌うシンガーソングライターの来生たかおさんでした。来生さんは当時、薬師丸ひろ子さんに提供した異名同曲の「セーラー服と機関銃」もヒット中でしたが、その音楽性に惹かれた島田氏は事務所を訪ねて作曲を依頼。程なくして届けられた3曲のうちの1曲が「スローモーション」だったのです。

同曲はアイドルとしては異例ともいえるマイナー調のミディアムバラード。デビュー曲候補はほかにも3曲ありましたが、新人離れした歌唱力を訴求できること、そしてキャピキャピした他のアイドルと差別化を図れることから「スローモーション」が選ばれます。明菜さん自身もお気に入りの楽曲でしたが、レコーディングでは歌のどこにアクセントを置くかで苦戦。それでも見事に歌いこなし、“実力派”の評価を勝ち取ります。

一触即発から生まれた『少女A』

その「スローモーション」がヒットチャートの30位まで上昇した頃にリリースされたのが2ndシングルの「少女A」(1982年7月)でした。まだ無名だった売野雅勇さん(作詞)と芹澤廣明さん(作曲)による楽曲ですが、実は別個に存在していた2つの作品を1つにしたもの。もともと売野さんの詞には別の作曲家のメロディが、芹澤さんのメロディには別の作詞家の詞がついていたのですが、両者のよさに目を付けた島田氏の判断で、売野さんの詞と芹澤さんのメロディが“合体”したのです。

通常なら大幅な修正が発生するところ、このときは数箇所の手直しだけでピタリとはまったというから奇跡的というしかありません。新聞の社会面記事を思わせる「少女A」というタイトルとツッパリ調の詞、ギターアレンジの名手・萩田光雄さんの編曲によるロックサウンドは、デビュー曲とは違った意味でアイドル離れしていましたが、当の明菜さんは歌うことに拒否反応を示します。当時の彼女は「スローモーション」のような清純路線の楽曲を好んでいたので、その対極ともいえるツッパリソングには抵抗があったのでしょう。

「この曲が売れなかったら、責任を取って担当を離れる」。

そう説得してレコーディングに漕ぎつけた島田氏は一計を案じます。渋々歌い始めた彼女をあえて挑発して怒りのエネルギーを爆発させたのです。その狙いは見事に的中し、明菜さんはハードなサウンドに負けない、メリハリの効いたボーカルで歌唱。早熟な少女の内面を吐露した「少女A」は世相を反映した歌としても注目され、発売から2カ月後にトップ10入りを果たします。

同曲は売野さんと芹澤さんにとっても初ヒットとなり、2人は翌年以降、チェッカーズの作品でも名コンビぶりを発揮。以後、数多くのヒットを放ちますが、そのきっかけとなったのが明菜プロジェクトだったのです。

『セカンド・ラブ』で本格的なバラードに挑戦

「少女A」で一躍人気アイドルとなった明菜さんは、第3弾シングル「セカンド・ラブ」(1982年11月)で再びリスナーを驚かせます。当時は1曲ヒットが出ると同じ路線を続けるのが定石でしたが、前作から一転、本格的なバラードに挑戦したからです。

「スローモーション」と同じ、来生えつこ(作詞)・たかお(作曲)姉弟による「セカンド・ラブ」は、もともと大橋純子さん(当時、来生姉弟から提供された「シルエット・ロマンス」がヒット中でした)が歌うことを想定して書かれた曲。新人が歌うにはかなりの難曲でしたが、明菜さんは持ち前の歌唱力で歌いこなし、ついにヒットチャートの1位を獲得します。

まさにホップ、ステップ、ジャンプ。デビューからわずか半年でトップアイドルに上りつめたことになりますが、その快進撃は2年目以降も続きます。

次回は1983年のヒットシングル「1/2の神話」「トワイライト-夕暮れ便り-」「禁区」についてお話ししますので、どうぞお楽しみに。

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★初代ディレクターの島田雄三氏が手がけたシングルA面11曲と、初期6作のアルバムから島田氏が1曲ずつセレクトした全17曲を収録。2022年12月に発売された最新のベストアルバム

>>『Singles〜1981−85 中森明菜 11 Great Hit Singles+6 by Yuzo Shimada』

★1982年7月発売の1stアルバム。デビュー曲「スローモーション」やシングル候補だった「あなたのポートレート」など全10曲を収録。デビュー間もない新人ながら、いきなりトップ10入りを記録した。

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★1982年10月発売の2ndアルバム。出世作となった「少女A」のほか、疾走感のある「キャンセル!」から本格的バラード「カタストロフィの雨傘」まで、多彩な楽曲で構成されている。オリコン1位。

>>2022ラッカーマスターサウンド>【2CD】』

▼※2023年5月18日に配信した記事を再編集しています▼

オマージュ〈賛歌〉 to 中森明菜

島田雄三著
濱口英樹著
シンコーミュージック・エンタテイメント刊

本書は、1981年にオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)で彼女をスカウトし、ディレクター/プロデューサーとして足掛け5年(81~85年)彼女を担当した島田雄三(元ワーナーミュージック・ジャパン)の証言*を中心に、制作に関わった作家やスタッフにも取材し構成した「初期・中森明菜」の制作記録である。ひとりの歌好きな少女が時代を象徴するスターへと駆け上がっていく過程を、音楽的なこととその関連事項に絞ってドキュメンタリー的に描いている。
*CD[ワーナーイヤーズ・全アルバム復刻シリーズ」(ワーナーミュージック)の解説を再構成し、加筆したもの。

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