【ダウン症の書家・金澤翔子さん】母が思う娘の夢「お医者さんになりたい」に思うこと
世界各地で個展や公演を開催する、ダウン症の書家 金澤翔子さんが表現する書。翔子さんを世界の舞台で活躍する書家へと導いた、母であり書の師匠である、金澤泰子さんの文。母と子が奏でる、筆とペンの力をじっくりとお楽しみください。
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今、翔子は新しくオープンした翔子の喫茶店で、オシャレを楽しみながら、喜びでピカピカに光った見事なウエイトレスとなり、働いている。そして夜になると机に向かう。お勉強をしているのだ。翔子は物事を始めると持続する力がある。
数年前から翔子は「お医者さんになる」と言ってお勉強を続けているのだ。私の書道の師匠(翔子の師でもある)が網膜剥離をおこし、左目が見えなくなってしまった。このことを聞いた翔子は、「お師匠様の目を治したいので、どうしてもお医者様になりたい」のだそう。
翔子は小学生用のドリルを買ってきて、本気で「一+一は二」から算数の問題に取り組み、わけの分からない英語の文章を書き写すお勉強に取り組んでいる。国語のドリルも買ってきて、懸命に何やらやっている。
医学部に進み、国家試験を受けて医師になるというのは、翔子には見果てぬ夢であり、翔子には不可能な、翔子の生涯ではあり得ない話。あまりにも無駄なので何時間も机に向かい、ドリルに取り組む翔子に、私は「やめなさい、お勉強ばかりしていたら馬鹿になっちゃうよ」と忠告していた。私が止めなければ、何時間でもドリルに熱中しているからだ。寝不足になるし、まず無意味すぎる。
しかし最近、私は翔子に「お医者様になるためのお勉強をやめなさい」とは言わない。
ある本にこんな話が載っていた。「ヒマラヤの森が火事になった。その時、森にすむ動物たちは身の危険を感じて岩かげに避した。けれど一羽の小鳥が羽にわずかな水を載せて、何度も何度も行き来して、やけどしそうになっても火に水を注いで消そうとした。
他の大きな動物たちは『無駄だからやめろ、早く避難しろ』と言った。しかし小鳥は『この火事は私には消せないことは分かります。でも永い間お世話になってきた森が燃えるのを、黙って見過ごすことはできません。火が消えるかどうかは問題ではないのです。私は水を運ばずにはいられないのです』と答えた」
この話を読んで思った。翔子が医師になれるかなれないかは問題ではなく、「師匠の目を治してあげよう」と思う翔子のこの「心」が尊いのだと。だから、膨大と思える無駄な作業を、見て見ぬふりをして過ごしている。
金澤泰子 ● かなざわ・やすこ
書家。明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山に師事し、東京・大田区に「久が原書道教室」を開設。ダウン症の書家・金澤翔子を、世界を舞台に活躍する書家へと導いた母として、書の師匠として、メディア出演や本の執筆、講演会などで幅広く活躍。日本福祉大学客員教授。
金澤翔子 ● かなざわ・しょうこ
東京都出身。書家。5歳から母に師事し、書を始める。伊勢神宮など国内の名だたる寺社や有名美術館の他、世界各地でも個展や公演を開催。NHK大河ドラマ「平清盛」の題字や国連本部でのスピーチなど活動は多岐にわたる。文部科学省スペシャルサポート大使、紺綬褒章受章。昨年12月、大田区久が原に念願の喫茶店をオープンした。 今年は書家デビュー20周年の記念の年となる。
文/金澤泰子 書/金澤翔子
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※この記事は「ゆうゆう」2025年7月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のために再編集しています。