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今年75歳・姜尚中さんに聞く「人生後半戦、もう私は一人になりたいわ」そんな思惑の先にある落とし穴

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ゆうゆうtime編集部

50代60代のリスキリングを考える際に必要なこととは?

——ご著書では「教育が貧しさを回復させる手立てだ」とおっしゃっています。「教育の機会があれば、潜在的な能力は開花する」とも。教育は子どもに限ったことではないと思うのですが、いま日本の政府も中高年のリスキリング(新しい仕事や職種に就くために必要なスキルを獲得すること)を支援しています。一方で踏み出せないでいる50代60代も多いのですが、これについてはどう思われますか。

姜尚中 人生百歳時代になって、ワンステージだけでは済まなくなったので、自分のスキリングをやり直して——というのがリスキリングですね。ただ、リスキリングという発想をすると、必ずそれは「成功か失敗か」ということにつながっていきます。スキルというのは結局、個人に純粋に帰属するから、失敗することもあるし成功することもある。それはわからない。非常に失敗したというような時には、これはダメージがかなり大きい。スキルがあるから、その人は必ず自分が思うようになるかっていうと、そうはいかない。

リスキリングも大事だけれども、それに劣らず大切なことは、出会いだと思うんです。たとえ失敗しても、出会いがあることでそれがリカバリーされる場合がある。出会いというのはとても重要で、自分が生きている限りは可能性がある。リスキリングだけだと、そこには出会いとか偶然の何かが化学反応を起こすということは含まれてないわけです。

ゆうゆう世代は、第一段階を終えて、第二段階かどうかは別にして、出会いは一生涯あるわけです。たとえ無縁社会と言われていても、やっぱり人と出会うことが一番大事だと思うんです。

——先生自身はそういった出会いのご経験がありますか。

姜尚中 もう本当に、出会いで全部つながっているわけですよ。たとえば私は妻と埼玉で一緒にならなかったら、ある教会に行かなかっただろうし、恩師となる牧師さんに出会わなかったら、国際基督教大学に行かなかった。ICUにいたから、今度は東大に移るきっかけとなったある教授に出会った。だからやっぱり、人は出会いによって予測しがたいことが起きる。

ニュースキャスターの筑紫哲也さんが送ってくれた著書『旅の途中 ジャーナリストとしての私をつくった39人との出会い』(朝日文庫)に、私の好きな言葉があるんですが、“私とは、これまで出会ってきたすべての一部だ”と。これはいい言葉ですね。イギリスのテニソンという詩人の言葉らしいんですけど。私もある本の中で、「生きた、悩んだ、出会った」と書きました。今日もやっぱり出会いがあるわけですよ。

スキルっていうのは結局モノローグでしょう? そうじゃなくて、ダイアログにしていくということ。あんまり使いたくないけど、コミュニケーションです。自分が意図しないようなことが起きる、それが出会いです。だからそれを「出来事としての出会い」ととらえるのです。ただ、出会いは起きるかもしれないし起きないかもしれない。

そして出会いは、自分がそういうリスキリングのために絶えず努力している時に起きる。何もしていなければ何も起きないし、つまり行動はしないといけない。でも大切なことは、失敗か成功かだけで、自分のリスキリングの価値があるかないかっていう評価をするのは、あまりにも致命的です。

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