元妻を長女とともに自宅で看取った【宮川一朗太さんのターニングポイント#1】初共演は松田優作と聞いてぶっ飛ぶ!
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映画『家族ゲーム』(1983年/森田芳光監督)や、テレビドラマ「青い瞳の聖ライフ」(1984年)など、10代から俳優として活躍を続ける宮川一朗太さん。今年5月に放送された「徹子の部屋」(テレビ朝日)では末期がんの元奥様を自宅に迎えて看取った経験を語り、話題になっています。長い俳優生活の中で、またプライベートで迎えたいくつものターニングポイントについてお話を伺いました。第1回は『家族ゲーム』のデビューの裏話。
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——80年代から、ゆうゆう世代の多くが楽しんだ映画やドラマにご出演の宮川さん。デビューのきっかけは何だったのでしょう?
小学校時代、実はめちゃくちゃ勉強できたので、中学受験をしたんですね。それで、いくつかの学校に受かって、僕は慶應に行くつもりだったんですけど、親父が『エスカレーターで大学まで行くなんてダメだ、男ならもう一度、大学受験で荒波にもまれろ』と。それで武蔵という男子校に入ったんです。
——進学校で有名な武蔵ですよね。
はい。あたりまえですけど男子校なんで、男子しかいなくて。役者を目指したきっかけのひとつが、学校に女子がいないってことだったんです。役者になったら女の子にもモテるだろうと(笑)。
でももしあのとき慶應中等部を選んでいたら、周りに女子がいて、憧れの慶應共学ライフを楽しんで、役者になろうとは思わなかったかもしれない。そう思うと、動機は不純ですが、人生の大きなターニングポイントですよね。
——そこから役者への道が始まったのですね。
まず、役者になるにはどうしたら良いのか?と考えて、高校に入ってから色々なオーディションを受けました。ひとつ、大きな劇団の養成所に合格したんですが、あまりの入団金の高さに、親に反対されて。
この世界はお金がかかるものなんだなあと、しばらくモヤモヤして、あきらめかけていたころに、東京芸術学院という俳優の養成所からダイレクトメールが届いたんです。当時できたての養成所で、第一期生の募集だったので、第一期なら、難しい先輩もいないし、お金も安かったから親もOK。親子ともに、部活の延長みたいな感覚で入団したように思います。
——その養成所はどんなところだったのですか?
当時なかなか画期的な養成所で、いわゆる演技に必要な滑舌だったりテクニックを学ぶというよりは、その役の気持ちに入りこむことを重視していました。そんなアメリカナイズされた授業が自分に合っていて、楽しく通っていました。でも、養成所に入ってからもオーディションにはたくさん落ちましたよ。
そんな高2の夏に、親に「お前、受験はどうするんだ? いつまでもそんな演劇ごっこみたいなことして遊んでるんじゃないぞ」と言われまして。
いま思うと不思議なんですけど、「なんか、もうすぐ(役者の道で)どうにかなるような気がする」とハッタリで答えたんですよね。なんの確信もなかったんですけど、いや、あったのかな? 虫のしらせかもしれません。その2カ月後に映画出演が決まったんです。
——『家族ゲーム』出演ですね。
はい。ただ、オーディションに落ちまくっていた時期でもあり、なんだ、つまらなそうなタイトルだけどなあと、ほぼヤケ気味で受けたオーディションだったんです(笑)。
